作品というものには内容があります。当たり前のことといえばそれまでなのですが。

ピアノを弾くということは、作品の内容やその作品を作曲した作曲家のことを色々な角度から見なければいけません。若い学生が技術的に弾けるというだけで内容を理解しないで難しい曲を弾いていることがよくありますが、そのようなことは論外です。


芸術というものは、まず自分から作品や作曲家に歩み寄らなければ見えてこない、感じることが出来ないから芸術なのだと思います。


その歩み寄る方法、手段はいろいろあります。

まず、私個人としましては、オペラを知ること、歌の感覚を知ることを第1に挙げたいと思います。それは、人が歌うということは根源的な楽器であるからです。


もちろん、オペラと聞いただけで、嫌いな方もいるでしょうし、中には食わず嫌いな方もいると思います。


私は基本的にオペラが好きですし、楽しむことができる人間で良かったと心から思います。聴くと良いからという理由で聴いているのではなく、純粋に楽しんで聴くことができるのです。これは幸せなことだと自分では思います。感覚的に受け付けない人もいるからです。


もちろん、オペラに親しんでいるから必ず良い演奏ができるというものでもないと思います。聴かない方でも、良い演奏が出来る方もいると思うからです。


ですから、オペラを聴くというのは芸術に歩み寄る1つの手段でしかなく、色々な角度から歩み寄ることができると思うのです。


ただ、西ヨーロッパを中心にクラシック音楽というものを考えたときに、どこの都市にもオペラハウスが必ずあるという現実、オペラが貴族のものとして存在していたところから一般庶民に親しまれ、根付いているという現実があるのです。


私個人の感覚として、モーツァルトを知りたいのであれば、モーツァルトのオペラを知らずして、知ることは難しいように感じます。ショパンも特にベッリーニのオペラを好んで聴いていたといわれています。ショパンの走句の発想は歌の発想です。


以前の章でも述べましたが、昔ヴァイオリニストの佐藤陽子氏がロシアに留学した際、師事していたレオニード・コーガン先生から「チャイコフスキーを知りたければ、チャイコフスキーのオペラ『エフゲニー・オネーギン』を見なさい」と言われたそうです。また、指揮者の世界でも、オペラを振れなければ一流の指揮者とはみなされないようです。


我国の現状を考えたときに、オペラハウスは数年前に新国立劇場がやっとできたばかりです。ピアノ人口は多くても、この現状に疑問を感じます。残念ながら、まだまだ本当の意味でクラシック音楽が根付いていないということではないでしょうか?


それは置いておくとして、とにかく、オペラも含め、色々な角度から歩み寄らなければ、芸術は理解できませんし、内容を理解しないで作品に手を出すのは間違いであるということを述べたいのです。


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