ロシアピアニズムの響き、奏法だけに存在するのですが、「音を集める」という概念があります。この音を集めることにより、音色は変化します。集める度合いによって、その音色の種類は無限です。
例えば、作曲家によって、まるでその作曲家の生の声が1人1人違うように、基本的にイメージする声、ここではピアノの音が違うのです。それは重さで感じたり、明るさで感じたり、演奏者の自由ですが確実に存在するのです。この概念は、現在までの日本のピアニズム、ピアニスト達の演奏、教育現場には存在しない領域です。
なぜなら、日本のピアニズムにおいては「指弾き」が現状であり、音色をイメージすることはあっても、具体的に弾きわける術を知らないピアニスト、教育者たちであふれているからです。そのようなこと、豊富な音色を聴くことができる耳を持っているプロも意外に少なく、人によっては、ピアノに音色の変化があるのは錯覚であり、強弱しか存在しないという、なんとも残念なさみしい考え、感覚のプロの方も現実にいらっしゃいます。でも、それは、そのような方、ご自身の演奏に音色の変化がないから、だから存在しないのだという、ある意味では聴く耳があるから、そこまで断言できるのかも知れません。(笑)
「音を集める」という感覚は、実際に手の感覚でもあり、手の内側の筋肉を緊張させ、手の中にエネルギーを集約させるかの如く、その状態にすることにより、音の変化が生じます。それは、重い音であったり、深い音であったり、濃い色の音、低い声の音など、色々な言葉で表現できる音に変化します。その集め具合によっても、言い換えるならば、手の内側の筋肉、手のひらから指先までの内側ですが、その筋肉の緊張の度合いにより、音色の種類は無限に変化します。
例えば、比較的音を集めるのが基本の発声で弾くべき作曲家を挙げるならば、私個人としましては、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、リスト、ブラームスなどが思いつきます。そのような作曲家の作品の内なる声から、そう感じるのです。もし、そう思わない方がいらっしゃったとしても、それはその方の感性から、そう感じられるのですから、それはそれでよろしいかと思います。世の中には色々な解釈、解釈の自由があるのですから。
例えば、モーツァルトのイメージは軽い音という方もいらっしゃると思いますし、現にそういう演奏も世界中にありますが、モーツァルトを重い音で弾く演奏家も現実にいるのです。しかし、ここでいうところの重い音というのは、「音を集める」という行為をしなければ、実現不可能であり、実際のところ、ロシアピアニズムのピアニスト以外の演奏で、重く、なおかつ、それが響く音というのは、聴いたことがありません。なぜならば、そのような奏法のピアニストが重い音を出そうとすると、鍵盤に指を押し付けてしまうからです。
重い音でも、響く音を出すためには、鍵盤を押し付けるのではなく、手のひらの中で音を集めるのです。これが真の重力奏法なのです。クリックお願いします!
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