昨日は天気も悪く、多分気圧が低かったためでしょうが、本当はこのブログを書くつもりでいましたが、私は夕方のレッスンまで寝たり起きたりと1日中ダラダラと過ごしてしまいました。
そして、夕方に1人生徒が現れ、そのおかげで目が覚めたといった感じです。
その生徒の生きる姿勢、音楽に向かう真摯な態度を思えば、身体が不調などと言ってる場合ではありません。
彼はまず日本でヤマハマスタークラスに所属し、全日本学生コンクールなどで1位を取るなど優秀な子供でした。その後モスクワへ10年間留学、伝統あるネイガウス直系のヴェラ・ゴルノスタエヴァ先生のもとで修業を積み、大学院まで卒業して帰国、現在、ヤマハマスタークラスと常葉短期大学(静岡)で講師をしています。もちろん演奏活動も頻繁に行っております。
その彼が、モスクワから帰ってきても、毎週のごとく私のもとへレッスンに通って、さらに磨きをかけています。既に2年以上経ちますが、基礎的なことからやりなおし、たった2年とは思わせないほど成長してくれています。
なぜ?彼が今でも私のところへ来ると思いますか?
それは、率直に言って、彼が彼自身の中に問題意識があるからです。その問題意識を解決するために、彼はひたすら勉強を続け、より高いレヴェルへと上がってきたのです。その問題意識がある限り、彼はこれからも、ひたすら上へと昇って行くでしょう。
ここで皆さんに申し上げたいのは、芸術家は自己完結してしまいがちですが、そうなってしまったら芸術家としての生命は終わりであるということです。彼のように問題意識を持ち続けることは芸術家として尊敬に値する姿であり、そして、その彼の演奏は、彼の器が水でいっぱいに満たされる度に彼自身がぶち壊し、また新しいもっと大きな器に水をためていくといったような感覚で、より魅力的になってきたのです。(人間という生き物は、弱い生き物ですから、自分自身を否定することはなかなかできず、自分可愛さで生きてしまうものですよね。)
彼ほど勉強を積んでいてさえしても、そうなのですから、もっと若い音大生や将来受験するであろう小中学生の皆さんも常に自分自身に問題意識を持つことが重要であると思います。誰でも自分のことは好きでしょうし、自分の才能にも誇りを持っていると思います。でもそれだけでは成長は止まってしまいます。自分自身の器を自分自身でぶち壊す、言い換えれば、自分自身を否定することは勇気も必要であり大変なことですが、芸術家として生きていく以上必然なのです。
私がタチアナ・ニコーラエワ先生の音を初めて聴いた時、なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?こんな美しい響きがピアノから出るのだろう?そしてこのような壮大な音楽になるのだろう?と思ったことが、私にとっての大きな機会でしたし、その瞬間から私は、それまでの人生で築き上げてきたものをすべて捨ててやり直しを始めたのです。
ですから、レッスンを受ける際にも、生徒の側は、やはり自分自身で問題意識を持って受けなくてはならないと思います。正直申し上げて、時代がそうさせるのか?昨今の若者たちの演奏を聴いていると、問題意識を持っていない、その人の器が水でいっぱいの状態であり、この先の伸びしろを感じさせないという人が多いのは残念ですね。 クリックお願いします!
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