
エリソ・ヴィルサラーゼとともに
ここ1週間、内田光子氏の弾くモーツァルトのピアノコンツェルトばかり聴いて、モーツァルトの音楽に浸っていました。
前の章でも触れましたが、内田氏が弾くモーツァルトは私にとって特別な存在で、最近ハマっていたのです。
ブラームスがモーツァルトのことを「素晴らしい音楽であるが、残念ながら誰でもその本当の素晴らしさは理解できない。」と言ったそうな。
私は、今までの人生でモーツァルトに何度かハマりましたが、今回ほど手ごたえを感じた事は今までありませんでした。
そのモーツァルトがきっかけで、内田氏の演奏自体に興味を持ち、You Tubeで色々聴きまくってみたりしていました。
その結果、私自身の中のオーストリア的な部分というものの存在を再認識しました。
ここ数日の私は、自分がロシアピアニズムの教師をしていながら、ロシアの響きではない内田氏の演奏に惹かれるのはなぜだろう?と自問自答のくり返しでした。
どう考えても、ロシアピアニズムの奏法の響きとドイツ・オーストリア系列の奏法は全く違いますし・・・ですから内田氏の響きに惹かれているわけはないのですが、やはり「音楽」を聴いていたのだと思います。彼女の演奏は、一言で申して「はかない」演奏に感じるのです。それがまたモーツァルトの音楽の特性とマッチしているのです。それは、例えて言うならば、朝陽ではなく夕陽といえるのではないでしょうか?
試しに、ロシア系ではないピアニスト達のモーツァルトのコンツェルトを色々、You Tubeで見ましたが、残念ながら、そこには内田氏の演奏のような「はかなさ」は存在してはおらず、非常に健康的な朝陽のようなモーツァルト、場合によっては、春の日差しではなく、夏のギラギラ照りつけるような日差しのようなモーツァルトさえありました。
そんなこんなの1週間を送っていて、ふとロシア人ピアニスト、エリソ・ヴィルサラーゼの弾くモーツァルトを聴いてみました。
まさに絶品でした!!!
と同時に、悩んでいた私は安堵しました。やはり、私はロシアピアニズムの奏法にしかできない響きの世界に魅力を感じることに。
もちろん、内田光子氏の演奏は非常に魅力的ですが、私にとっては、やはりエリソ・ヴィルサラーゼのモーツァルトがやはりしっくりくるのです!
彼女は、ピアノのテクニックを学ぶ上で、テクニック上の基本のすべてをモーツァルトで学んだというほど、ロシア人ピアニストの中でもモーツァルトを弾かせたら右に出る者はいないのではないか?という演奏をしてくれるのです。
エリソ・ヴィルサラーゼの凄さというものを改めて実感した次第です。
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