これは非常に感覚的なことで、ある時から、ふと、思うようになったのですが、音楽、演奏芸術の本質にかかわることです。


結論から申し上げて、良い演奏、理想の演奏、または私の好きな演奏といえるかもしれませんが、男性が弾いていようが、女性が弾いていようが、その性別を感じさせない、男女の性別を超越した次元にある演奏だと思うのです。


例えば、女性ピアニストの場合は、これは視覚的なことも関係してくるように思うのですが、全身をくねらすような動きとともに、フレーズが短く、フレーズの歌い回しに独特の女性らしさを感じさせる演奏が多かったり、また、反対に男性ピアニストの場合、力でピアノをねじ伏せるかのごとく体育会系的であったり、音楽のきめが粗かったり、フレーズが直線的過ぎたりする演奏に対して私は不思議な違和感を覚えるのです。何かが違う!と感じるのです。


その反対に、素晴らしい演奏には、そのようなことを感じさせることはなく、女性であろうが男性であろうが、そのような次元で音楽を捉えているのではなく、そこでは、あくまでも、一人間としてであり、そこには性別も人種も国籍も関係ない、それを超越した魂の世界で音楽を捉えていると感じさせるのではないでしょうか?


私個人の感覚からすると、例えばマルタ・アルゲリッチの演奏に女性特有のものを感じません。多くの女性ピアニストの演奏の次元をはるかに超越しているのです。だからと言って男性的というのも、やはり、何か違和感を感じますし、性別うんぬんという次元ではない演奏だと思います。もっともっとレヴェルの高い意識下に音楽をもっていっているように感じます。


想像するに、自分で自分の性別を無意識のうちに意識して生きている人と、無意識のうちに意識していないで生きている人に分かれるように思いますし、それが演奏に反映されるのではないか?と思うようになったわけです。もしくは、日常そういう意識が強くても、いざ演奏となると、そういう意識、そういうフィルターを通さないで、より純粋、もしかすると、童心にかえったような感覚で音楽を捉えるているのかもしれません。


皆さんもそういう意識で、ご自身のことを見つめなおしてみたり、演奏に対して、そのような観点から聴いてみると、今までとは違った感覚で演奏が聴こえてくるのかもしれません。



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