以前の章でもお話ししましたが、私にとっての日常の楽しみの1つに、CDを聴く時間があります。クラシック音楽の世界は、横軸にも縦軸にも大変幅広く、一生かかっても、その世界を知り尽くすことはできません。あの吉田秀和氏でさえも似たようなことをおっしゃっています。ですから、私は私の人生のうちに可能な限り、作曲家や作品というものを探求し続けようと思っています。CDを購入するのに必要な費用は、私にとって、レッスン代に等しいのです。
ふと思ったのですが、未知の作曲家や作品を知るという事を考えたときに、まずは聴くことが大切に感じます。違う方法として文献を読むということもありますが、それは、あくまで知識です。もちろん、知識も大切ですが、演奏する人間にとっては、知識は知識でしかなく、その作品を理解するうえで助けにはなりますが、それを得たからといって演奏に直接つながるとは思いません。演奏というのは根本的に感覚が優先されるべきであり、その、ある意味で抽象的な感覚に音楽の魂は存在すると思いますし、その魂を感じたいがために聴衆は演奏会に足を運ぶわけですし、CDを買うわけです。それは、ある意味で「奇蹟」です。
ですから、演奏家は未知の作曲家や作品に触れるときに、まずは感覚で捉えることをするべきだと思います。自分自身の感覚を信じてです。そのためには、まずは音源を聴くことだと思います。確かに音源には、その演奏家の色が含まれていますから、1つの音源ではなく、同じ曲でもたくさんの音源を聴く、聴くことに時間を割くことを惜しむべきではありません。
それにより、自分自身の中に、その作品のあるべき姿やメッセージが聴こえてくるはずです。もし、聴こえてこないのであれば、それは、その作曲家や作品との根本的な相性が合わないのだと思いますから、それがピアノ作品だった場合、手を出さなければいいだけの話です。何かが聴こえてきて、手ごたえが感じられて初めて、その作品を弾く権利を与えられるのです。
次の段階として、実際にその作品を練習を始め出し、色々な不可解なことや壁にぶち当たります。そして、初めてそれを理解するための助けとして文献を読んでみるという順番が、私にとってはあるべき方法のような気がします。例えば、モーツァルトの手紙を読んでみるとか、何かしらの演奏するうえでの助けになるかも知れません。
最近の私は、ドイツ・オーストリア系統の音楽に一層興味があります。ですから、ピアノ作品だけではなく、またピアノ作品をほぼ作曲していない作曲家も含めて、例えばワーグナーのオペラ、マーラーの交響曲や歌曲、ブルックナーの交響曲、ベルクの歌曲、ヴォルフの歌曲などから、既に知っているつもりでも、あらためてバッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームスの作品を聴く時間を持つようにしています。
まずは、それらを聴くことをしているのです。もしかしたら、何か手ごたえのようなものを感じられることがあるかもしれませんし、そうでないかもしれません。そして、それが自分の演奏に何らかの影響を及ぼすことになるかもしれないのです。
ピアノの演奏家や教師は、演奏家や教師である前に、芸術家であり、そして、それ以前にプロではあっても音楽が理屈ではなく感覚で楽しめる音楽愛好家であるべきです。そのためには、まずは、たくさん聴くことだと思います。![]()
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