桜の季節になりましたね!
私の家のあたりは古くからの江戸情緒が残る街で、桜の大木がたくさんあり、一斉に花開いています。
桜と言えば、入学シーズンですね。
むかしむかし、私が憧れの桐朋学園大学に入学した時を思い出します。
今でも入学式のときの写真がありますが、当時の学長、三善晃先生を中心にピアノ科の主任であった林秀光先生、その隣に教授であった寺西昭子先生、奥村洋子先生が並んでいます。
私にとっての桐朋学園のイメージと言えば、演奏家を沢山輩出してきた、演奏家を養成する学校でした。
私よりもっと前の世代の方、先輩たちの多くは桐朋学園に非常に愛着が強いように思います。多分、まだ少人数の寺子屋的な教育環境だったからなのかもしれません。
想像するに、当時の教師も生徒たちも、大きな夢を持っていたのではないでしょうか。
第1期生の小澤征爾氏の著作からもその様子が伺い知れます。
さて、いざ入学した私を待っていたのは、音楽以外の一般教養なる授業が沢山待ち受けていました。国語、外国語、数学、理科、体育などが思い出されます。
朝の8時40分の1時間目から夕方までぎっしり授業が詰まっていました。
最初は真面目に出席していたのですが、毎日の授業に対して、だんだん嫌気がさしてきたのです。なぜならば、肝心のピアノの練習時間がたくさんとれないからです。
これでは、何のために桐朋学園に入ったのか?という疑問が湧いてきました。
私はピアニストになりたくて、桐朋学園を選んだわけですし、現に学生証にも桐朋学園大学音楽学部演奏学科ピアノ専攻と書いてありましたが、どこが演奏学科?と思ったものです。
桐朋学園に限らず、日本の音楽大学は文科省の意向で、一般教養の単位をたくさん取らねばならないのです。
半年も経たずに、私は決心しました。
日本で勉強していたら、ピアノなんか下手になる!と。(笑)
結果として、私は大学3年の和声の単位を取った時点で、休学、ヨーロッパへ行ったのですが、今の学生でも、当時の私と同じような境遇、同じように感じている音大生はいるのではないか?と、ふと思った次第です。
私は私の選んだ道に悔いはありません。
なぜならば、幸運にもドミトリー・バシキーロフ、タチアナ・ニコラーエワ両先生と出会うことができ、本物のピアニズムを知ることができたのですから。
将来の社会的成功を優先していたら、今現在の自分はなかったと思います。
今、私は心からの幸せを感じております。
ロシアピアニズムを理解することができ、そして、それを日本に広める役割を担っていると感じられることにです。
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