芸術家にとって、日々どうやって過ごすか?何を考えるか?何を感じるか?ということは必要不可欠であると感じます。 

例えば、1日レッスンがぎっしり詰まって、7人も8人も教えなければならない日などは、1日が終わると「音」そのものを聴きたいと思わない時もあります。


私の生徒たちの何人かは、それぞれに教えるという仕事と勉強との両立を行っていますが、傍から見ていてかわいそうに思ってしまうほど、忙しい日々を送っています。


残念ながら、生徒によっては、本人は勉強しているつもりでも、私から見ればしていない、内容の伴っていない指の練習だけをしている状態、本当の意味で勉強ができていない状況にあると感じます。


芸術を志すということは、その人の生きざまそのものが関わってきますので、その生徒が、今現在、どのような人生のステージにいるのかは演奏を聴けば簡単にわかってしまいます。


一見、何も予定がなく、ある意味で反社会的な建設的でない1日を送ったとしても、実は芸術家にとっては大変重要なのです。


芸術家は「忙しい」という言葉を口するようではいけない、そのような状況ではいけないのだと思います。


ですから、私にとってこのブログを書くことは、その時の自分自身を省みることになりますので、始めて良かったと心から思います。


先ほどまで、アンナ・マリコヴァ先生の弾くシューベルトのソナタのCDを何気なく聴きながら色々なこと、例えば「死」というものについて考えていました。


シューベルトのソナタを聴くと、私には「孤独」「悲しみ」「死」という言葉が連想されます。


私は私の人生というものがこれからどれだけあって、今どの地点にいて、今後どのような人生が待っているのだろうか?どのようなことを感じるようになるだろうか?


そのようなことを考えることは、芸術家にとってはとても大切なことだと思います。

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