私自身、今までのピアノと関わってきた人生を振り返ってみますと、その段階に応じて、私とピアノの関係が色々な意味で変化してきたように思います。
 
まだまだ、ピアノという楽器の性質を分かっていなかったり、作ろうとする音楽が今から思えば稚拙だったり、今から思うと本当に恥ずかしい演奏をしていたり、様々な時を経てきたことを実感します。

私がまだ日本の学生だった頃、フォルテよりピアノを出す方が難しいということを聞いても、それを実感することはなく、心の中では「そんなはずはない」と思っていたものです。

それが時とともに、多分、ヨーロッパに住み始め、ロシアピアニズムと出会って以降だと思うのですが、ピアノという楽器の表現の可能性を知り始めたあたりから、フォルテを出すよりピアノを出す方が難しいということの本当の意味を理解するようになったのだと思います。

と同時に、速い曲よりも遅い曲の方が、色々な意味で難しいということも分かってきたのです。

もし、皆さんの中で、今挙げたようなことを実感できないとすれば、それはまだ、ピアノ演奏の本質とは何なのか?とか、ピアノという楽器の性能を知っているようでまだ理解していないとか、「表現する」という行為そのものの具体的かつ抽象的な本質を理解していないからだと思います。

もしご自身で思い当たる節があるとすれば、是非、そのようなことを探求して頂きたいと思います。

フォルテよりピアノの方が難しいということが、本当に実感できるようになって初めて理解することが可能な、それまで感じることがなかった世界を知ることになりますし、それによりピアノという楽器との関係も変わり、演奏行為そのものの本質が見えてくることによって、新たなピアノを弾く喜び、それは魂からの真の喜びを実感できるようになるはずです。

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