これは人の歌声に始まり、ピアノを含めどんな楽器にも共通していることなのですが、 
 
「基音に相当する音の芯、核となる部分が、凝縮され集まっていること、言い換えるならば、その核が細いこと。その細く集まった核にまとわりつくように響きのヴェール(倍音)が存在する音。」
 
ということが出来ます。

 
 
基音が細くないと豊かな倍音は出てきませんし、その豊かな倍音がグラデーションを伴って変化して行くことにより、音色の変化を感じることが出来るのです。

 
 
これを人の声でイメージすると分かりやすいと思います。単純に伸びのある声を聴くと、3次元の空間を感じることが出来て人は心地よいものです。反対に伸びない声で歌われても、息苦しさを感じるだけです。

 
 
ピアノや他の楽器でも同じことが言えます。伸びのある音は、言い換えるならば倍音豊かな音は、人に心地よさを与え、脳内にα派が出ると言われています。

 
 
残念ながら、このような音は一般的な奏法では出てきません。言い換えるならば、我が国で主流とされている「ドイツ・オーストリア流派」や「フランス流派」の奏法では、音色はないのです。

 
 
ですから、我が国において、一般に「音色」の変化を体感することはできないのが現状で、皆さんが「音色」だと思っているピアノの音は、実は「音色」がない演奏で、私から申し上げるならば、ただのピアノの音でしかなく、そこには残念ながら、魂からの感動を得ることはできません。言い換えるならば、発声の訓練を受けていない地声でオペラのアリアを歌っているようなものなのです。

 
 
これは、大変おこがましいのかもしれませんが、「ロシア流派」の奏法で弾かれた時だけに出てくる、聴くことが出来る世界で、実際にその音を生でまじかに聴かなければ、絶対にわからない感覚なのです。

 
 
しかも、その感覚は、わかるひとにしかわからない、聴こえる人にしか聴こえないというのが現状で、プロアマ問わず、皆さん全員が聴こえるものではないのです。

 
 
皆さんが、ご自身で弾く時の音に対して、「倍音豊かで音色がある」とは思わず、ご自身の音に音色がないと思うことが出来なければ、まず疑うことをしなければ、その重要性も、必然性も生まれてこないのです。

 
 
実際に私の生徒たちの演奏を聴いていましても、個人差はありますが、その音色が出てくるようになるまで、数年かかるのが一般的で、その多くが途中段階で挫折していまうのが現実で、その音色が出せるようになった生徒の演奏を聴いていると、そこがレッスン室ではなく、もっと広い空間にいるような錯覚に包まれ、何とも形容しがたい心地よさを感じることが出来るのです。

 
 

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