以前から思っていたことなのですが、レッスンをしていて、その演奏を聴きながら、同時に演奏そのものとい言うより、生徒の心の中、思考、感覚、性格を聴いているというか、感じていると思うことがしばしばあります。
ある生徒が、どんなに達者に弾いていても、それは表面上のことであり、その生徒のそれまで育ってきた環境が及ぼしてきたと推測される、その生徒の内面を形成する何かが、私にとっては違和感、場合によっては残念ながら嫌悪感さえも持ってしまうことがあるのです。
ちなみに、これと同じようなことを、ゲンリッヒ・ネイガウスも言っていたとある著書で読んだことがあります。
若いころの私は、そのような場合でも、その生徒の根底に流れる、芸術家にとって不必要な何かとか、悪しきもの?を矯正しようと試みたものですが、残念ながら、多くの場合、それは達成できなかったと感じます。
それを具体的に指し示すのであれば、その多くは、必要過多な自己顕示欲であり、まるでピアノという楽器を使って、もしくは利用して、己の欲する欲望を達成するようであり、それにより、天才的で偉大なる作曲家や作品よりも上に立とうとでもしているかのように感じられ、その行為は作曲家や作品に対して冒涜に他ならないと思うのです。
これは、生徒だけではなく、プロの演奏を聴いていても同じようなことを思うことがあります。
その演奏者が、ピアノという楽器そのものに対して、その音楽に対して、演奏行為に対して、また聴いて下さるお客さまに対して、心からの愛情と節度のある敬う気持ち、感謝の気持ちというものが自然に存在するときに、弾き手にとっても聴き手にとっても、互いに目に見えない理想の対話、それによって生じる魂からの叫びや大いなる喜びであり、場合よって、そこには奇蹟と呼ぶことができる空間、時間が生まれ、その奇蹟を求めるからこそ、聴衆は演奏会に足を運ぶということ、その奇蹟がある限り、クラシック音楽は永遠に存在するであろうことを心するべきだと思います。
クリックお願いします!
にほんブログ村