和声学の存在はプロになる以上、必然です。なぜならば、和声の進行は演奏するうえでの地図のようなもので、その要素でおよその解釈というものが決まるからです。
ただし、私が普段感じることは、和声学を学んだはずの生徒のたちの演奏に、その和声感が感じられない、反映されていないことが残念ながら多いように思います。弾くという行為で一生懸命だからかもしれませんが、これでは、何のために和声学を学んだのかわかりません。
そこで思い、生徒たちに常々言っていることは、楽譜のある部分を指して、何調の何度と言えるだけでは意味がない。むしろそんなことを言えなくてもいいから、もっと和声の進行を頭で理解するよりも、感じることを優先させなさい。そしてその感じたことを演奏に反映させなさいと。言い換えるならば、使うべき脳を使っていない、脳の状態が違うともいえます。
おもしろいことに、ごく稀ですが、アマチュアピアニストの生徒など、生徒によっては、和声学の知識がなくても、和声の進行を感じ、それを音色や強弱、そして音のタイミングで表現できる生徒がいます。
そういう才能ある生徒にとってみれば、和声学というものは、不必要なんだと思ってしまいます。本末転倒になってしまってはいけませんね。
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