一般的な奏法で弾く音は、基音が目立つため、そばで聴いていて、とにかくうるさいのです。

私に言わせれば、場合によっては「爆音」であり、ピアノという楽器が壊れてしまうのではないかと思う時もしばしばあります。



この音は、いわゆる「そば鳴り」という音で、部屋やサロンなどの狭い空間で聴いていると、ある意味で立派な演奏に聴こえるのです。



この「そば鳴り」の音を出さないと弾いた気がしないという体育会系的な方もいらっしゃるように思いますし、一生懸命弾くことによって、音が飛ぶと信じて疑わない、(私からすれば、それは大きな勘違いであり)という方も多いと思います。これはプロであってもです。



そもそも、音を出すという行為の中に、芸術的感覚以外の何か、運動的な要素、感覚が混じるべきではないと思います。



それに加えて、そのような音が良い音であるという教師が、何と多いことか!



話は戻りますが、おもしろいことに、この「そば鳴り」の音で中規模程度のホールで聴きますと、意外なことに、ステージの上だけで音が舞ってしまい、客席には飛んでこないのです。



聴衆である私は、その場合、遠くから眺めているようにステージ上の音を聴くことになり、その音は、基音が目立つために、音と音とがぶつかりあってしまい、聴こえないのに「音がうるさい」と感じるのです。



言葉を変えますと、音と音とが混濁してしまい、聴くべき音をその中から耳で探して聴きとるという、それはそれは大変な耳の作業を強いられるのです。



これが、最近多く見受けられる、残響時間の長いホールで聴く場合には、正直、何が何だか分からない、風呂場で弾いているのではないか?と思わせるほど、客席には飛んでこないので、とにかくうるさく感じるのです。



これが、ロシアピアニズムにおける奏法である、倍音を豊かに鳴らして弾いている演奏ですと、倍音が空中に浮遊し、残響時間の長いホールで聴いていても、風呂場のようにはならず、客席に座っている私にまで、気持ち良く音と音とが混じり合い、ある意味で整理整頓されたような状態の、言い換えるならば、責任ある音とでもいいましょうか、そのような音が飛んでくるのです。



ですから、残響時間の長いホールは風呂場のようでダメだ!という思いの方がいると思いますが、それはホールが悪いのではなく、演奏者の方に問題があるのです。



このようなことから、音の性質というのは非常に面白いと思います。



あるピアニストの著書に、「音を飛ばすにはピアノに座って右斜め前方を思い浮かべればよい・・・」などと書かれておりましたが、そんなに簡単に思うだけで音が飛ぶのでしたら、私の今までの20年間の修業は何だったのか?と思わざるを得ません。(笑) 

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