ピアノという楽器は非常に繊細であるということを、なぜか?フルコンを持って思い知らされました。
その非常に繊細である、ピアノという楽器を扱うには、それなりの扱い方があると思うのです。
そこで思ったことがあります。
ピアノを弾くということは、完熟トマトを切ることに似ていると思ったのです。(笑)
最近でこそ、私はあまり料理を作らなくなりましたが、留学生活が長かったので、練習のできない夜の時間に夕食を作るのが、いつの間にか楽しみになっていたものです。自分1人の為に、天ぷらやとんかつまで揚げたものです!(笑)
思うに、子供のころから図画工作の授業が大好きで、いわゆる創作活動の一環として捉えていたように思いますし、曲を作っていくという意味で、ピアノにも共通するように思います。
話は元に戻りますが、もし、よく研いでない包丁で、完熟トマトを潰さないように切ろうと思ったら、角度やスピード、重さのかけ具合などを考えながら、試行錯誤の上、がんばっても結果的にはうまく切れないのではないでしょうか。
一般的な奏法である、指弾きは、これに似ていると思ったのです。
逆によく研いである包丁で切る場合は、簡単に潰さずに切れますよね。
要するに、ピアノという楽器は完熟トマトであり、指が包丁に置き換えることが出来ると思ったのです。
一般的な奏法である、指弾きでいろいろ試行錯誤をして工夫しても、結果として、その苦労は演奏に反映されないと思いますし、そのようなエネルギーは、庖丁を研ぐ作業で使えばよいのであって、それはピアノにおいては、指の内側の筋肉である「屈筋」を鍛えて、腕の重みを支えるようになることなのです。
ロシアピアニズムの奏法、重力奏法は、実は運動という観点から見たときに、非常にシンプルな弾き方、身体の使い方であり、一般的な奏法の方が、実は身体にとって複雑で腕の重みを有効に使えてないのです。
ですから、単純に考えますと、屈筋で支えられる指を作ることが、庖丁を研ぐことになり、その出来上がった指で弾くというのは、良い音、響きはもちろん、困難な個所を弾く上でも、鍛えてない指で弾くより、非常にシンプルでたやすいということが、私自身の経験から感じられるようになりました。
そうでなくては、あのマルタ・アルゲリッチが、どんな難曲でも軽々と弾けるはずがないのです。
要するに、発想の転換が出来るかできないかが問われるのではないでしょうか。
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