「食わず嫌い」という言葉があります。正直に申し上げて、私自身も「食わず嫌い」な人間です。
私は音楽家として生活しておりますが、残念ながら音楽に対しても「食わず嫌い」な面があります。
しかし、私も一応プロの音楽家ですから、私の人生で、この世に存在する膨大な数の作品のうち、少なくとも一般的に認められていて芸術性が高いといわれるスタンダードな作品は可能な限り知りたいという願望、また知ることによって、私の音楽観、演奏、指導に何か影響があるかもしれないということもあります。
それに、そのような音楽をある意味において愛好家的に楽しめる人間になりたいと思うのです。
結果として、私に何らかの影響があれば、それは大変うれしいことです。
例えば、いまだ未開で興味のある作品で思いつくところ、J.S.バッハのマタイ受難曲、ロ短調ミサ曲。モーツァルトのオペラ「コシ・ファン・トゥッテ」。ベートーヴェンの「ハンマークラヴィア・ソナタ」の第4楽章のフーガ、ディアベリ変奏曲、チェロ・ソナタ。シューマンの歌曲集「女の愛と生涯」。ブラームスの歌曲集。ヴォルフの歌曲集。チャイコフスキーの「スペードの女王」、ワーグナーの「指環」、R・シュトラウスの「アラべラ」、「ばらの騎士」、「サロメ」、「ナクソス島のアリアドネ」。マーラーの交響曲4,5番以外の交響曲。ブルックナーの交響曲。ベルリオーズの「夏の夜」、シェーンベルクの作品などなど、恥ずかしながら挙げればきりがないほど未だによくわかっておりません。
考えてみれば、例えば日本での学生時代、シューベルトのピアノ・ソナタを聴いても、どう聴いていいのかさえ分からなかったものですが、今ではシューベルトが私にとって最も近い存在の1人となったように、人間というのは進化し続けるものだと実感しております。
また、芸術というものは、概してこちらから歩み寄らなければ理解できないものです。ですから、いつかシェーンベルクの12音技法の世界に抵抗がなくなる日がやってくるかもしれません。またそうでありたいと思います。
そこで思うのは、桐朋学園創始者の1人、音楽評論家の吉田秀和氏が膨大な量の執筆活動を行っていますが、それを達成するには、必然的に膨大な量の演奏を聴いていなければ不可能です。
音楽というのは時間の芸術ですから、1曲聴くのにもそれなりの時間が必要ですし、1日の時間には限りがある中、吉田秀和氏が一体どうやってそれを行っているのか?と不思議に思います。私自身、今となっては氏の著書により、色々な音楽が開けてきましたし、受けた影響は限りなく大きなものとなりました。氏に対して心から尊敬の念を抱かずにはいられません。
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私は音楽家として生活しておりますが、残念ながら音楽に対しても「食わず嫌い」な面があります。
しかし、私も一応プロの音楽家ですから、私の人生で、この世に存在する膨大な数の作品のうち、少なくとも一般的に認められていて芸術性が高いといわれるスタンダードな作品は可能な限り知りたいという願望、また知ることによって、私の音楽観、演奏、指導に何か影響があるかもしれないということもあります。
それに、そのような音楽をある意味において愛好家的に楽しめる人間になりたいと思うのです。
結果として、私に何らかの影響があれば、それは大変うれしいことです。
例えば、いまだ未開で興味のある作品で思いつくところ、J.S.バッハのマタイ受難曲、ロ短調ミサ曲。モーツァルトのオペラ「コシ・ファン・トゥッテ」。ベートーヴェンの「ハンマークラヴィア・ソナタ」の第4楽章のフーガ、ディアベリ変奏曲、チェロ・ソナタ。シューマンの歌曲集「女の愛と生涯」。ブラームスの歌曲集。ヴォルフの歌曲集。チャイコフスキーの「スペードの女王」、ワーグナーの「指環」、R・シュトラウスの「アラべラ」、「ばらの騎士」、「サロメ」、「ナクソス島のアリアドネ」。マーラーの交響曲4,5番以外の交響曲。ブルックナーの交響曲。ベルリオーズの「夏の夜」、シェーンベルクの作品などなど、恥ずかしながら挙げればきりがないほど未だによくわかっておりません。
考えてみれば、例えば日本での学生時代、シューベルトのピアノ・ソナタを聴いても、どう聴いていいのかさえ分からなかったものですが、今ではシューベルトが私にとって最も近い存在の1人となったように、人間というのは進化し続けるものだと実感しております。
また、芸術というものは、概してこちらから歩み寄らなければ理解できないものです。ですから、いつかシェーンベルクの12音技法の世界に抵抗がなくなる日がやってくるかもしれません。またそうでありたいと思います。
そこで思うのは、桐朋学園創始者の1人、音楽評論家の吉田秀和氏が膨大な量の執筆活動を行っていますが、それを達成するには、必然的に膨大な量の演奏を聴いていなければ不可能です。
音楽というのは時間の芸術ですから、1曲聴くのにもそれなりの時間が必要ですし、1日の時間には限りがある中、吉田秀和氏が一体どうやってそれを行っているのか?と不思議に思います。私自身、今となっては氏の著書により、色々な音楽が開けてきましたし、受けた影響は限りなく大きなものとなりました。氏に対して心から尊敬の念を抱かずにはいられません。
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