グレゴリー・ソコロフの名前は、昔からチャイコフスキー国際コンクールの優勝者として知っていましたが、初めて演奏を聴いたのは、留学中のことでした。
当時、私はオーストリアのザルツブルクに住んでいました。ザルツブルクはドイツとの国境近くにあり、車で15分も乗ればドイツのバイエルン州(州都はミュンヘン)です。
そのような地理的条件なので、テレビもラジオもオーストリア放送はもちろん、ドイツ放送も受信可能でした。

ドイツのラジオ放送局にバイエルン4というチャンネルがあり、24時間クラシック音楽ばかり流しています。そのバイエルン4でグレゴリー・ソコロフがミュンヘンのヘラクレス・ザールで行ったリサイタルのライヴ録音を聴いたのが、彼の演奏を始めて聴く機会となりました。

プログラムはJ.S.バッハの平均律第Ⅰ巻の第1番から第8番まで、パルティータの第4番、ブラームス編曲の左手のためのシャコンヌでした。そしてアンコール3曲、バッハのコラール「私は主の名を呼ぶ」などです。

その衝撃は忘れもしません!何と美しい響き、斬新な解釈、躍動感あふれるリズム、深い呼吸・・・などなど、色々な感想を持ちました。

その後、モーツァルテウム音楽院大ホールに来てリサイタルを催し、ショパンのエチュードop.25全曲などのプログラムでしたが、残念ながら、その日は具合が悪く聴きに行けませんでしたが、翌日以降、聴きに行った学生たちは、ソコロフの話題でもちきりでした!

私が思うに、現役ピアニストの中では、総合的に見て、圧倒的な存在のピアニストと呼ぶことが出来ると思います。

約15年ほど前、彼は東京文化会館でリサイタルをし、NHKのテレビの芸術劇場でも放送されましたが、残念なことに、それ以来の来日はないようです。

彼の名前をご存じの方は、日本ではまだまだ少ないと思いますので、是非ご紹介したいと思います。下に貼った動画はパリでのリサイタルのアンコールの1曲です。

これぞ!まさしくロシアピアニズムならではの醍醐味である、ベルベットのような光沢のある音色です!!!

ヨーロッパにおいては、活発な演奏活動を行っており、You tubeにライヴ音源は山ほどありますので、あわせてお聴きになってみてはいかがでしょう。

グリゴリー・リプマノヴィチ・ソコロフ((ロシア語: Григорий Липманович Соколов)/Grigory Lipmanovich Sokolov, 1950年4月18日 レニングラード – )はロシアピアニスト

略歴 [編集]

5歳でピアノの学習を始める。レニングラード音楽院において、7歳のときレアー・ゼリフマンに、その後はモイセイ・ハルフィンに師事した。12歳で最初の大規模なリサイタルモスクワで開く。1966年、16歳で第3回チャイコフスキー国際コンクールで優勝し、審査委員長のエミール・ギレリス以下、審査員の全員一致で金メダルの授与が決定されたことによって国際的な注目を浴びた。1970年代1980年代ソ連国内では印象深い活躍を見せたのに対して、国外で演奏旅行を行なうことが滅多に許されなかったために、西側では名ばかりが知られた存在だった。ペレストロイカ以降の1980年代後半に、国際的な演奏活動が活発化してから、次第に現在の名声が打ち立てられた。

これまで行なった演奏会は、いつしか1000回以上に達し、ニューヨークカーネギー・ホールウィーンの楽友協会ホールにおける演奏などでは、しばしば批評家の熱狂的な賛辞を勝ち得てきた。レパートリーは非常に幅広く、バッハモーツァルトベートーヴェンシューマンショパンブラームススクリャービンラフマニノフプロコフィエフを得意とし、また、18世紀以前の作曲家、たとえばウィリアム・バードフローベルガーフランソワ・クープランにも意欲的に取り組んでいる。慎重に活動を続ける芸術家ではあるが、近年はフランスのレーベルを通じて発表される録音の量も増えており、2002年パリ・リサイタルの模様は、映像監督のブルーノ・モンサンジョンによってDVDに収録され、発表された。



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