偉大なピアニスト、アレクシス・ワイセンベルク氏が昨日、2012年1月8日亡くなりました。
彼の存在は、子供の頃の私には偉大な存在でした。確かウィスキーのCMにも出るほど人気者でした。もちろん、演奏会へも何度か行き、サインもして頂きました。
その演奏スタイル、漂うオーラは、まさしくジェントルマンでカッコいい!ある意味で憧れのピアニストの1人でした。彼のレコードはすべてそろえていました。特にお気に入りの演奏は、彼の演奏の象徴的なバッハの「主よ、人の望みの喜びよ」にはじまり、同じくバッハ=リストのプレリュードとフーガイ短調、パルティータの3番、ショパンのノクターン集、カラヤン指揮のラフマニノフの2番のコンチェルト、バーンスタイン指揮のラフマニノフの3番のコンチェルトでした。
昔、NHKの「音楽の広場」と言う番組がありました。黒柳徹子、芥川也寸志司会で、彼がゲストに迎えられた時の録画が、今でも大切に残っています。
今は、ただただ残念な気持ちでいっぱいです。
私のピアノ人生における、偉大なスターの1人でした。
「ありがとうございました!安らかにお眠りください!そして、たくさんの感動をありがとうございました!」

ウィキペディアより

アレクシス・ジギスムント・ワイセンベルクブルガリア語: Алексис Вайсенберг, 1929年7月26日 - 2012年1月8日)は、ブルガリアソフィア出身のピアニスト。現代の音楽界で巨匠と称される音楽家のひとりである。

経歴 [編集]

幼い頃から作曲家のウラディゲロフに作曲とピアノを学び、ピアニストとしてのデビューは14歳の時であった。第二次世界大戦中は収容所に入れられ、苦難の日々を送るが、イスラエルを経てアメリカに逃れる。

その後、1946年ニューヨークジュリアード音楽院に入学。現在としても良く知られているピアニスト、サマロフランドフスカ、そしてシュナーベルの指導を受けた。卒業した時には、ワイセンベルクは各国から招かれたほどの有名な学生になっていた。1947年レヴェントリット国際音楽コンクールで優勝、同年にジョージ・セル指揮のニューヨーク・フィルハーモニックと共演し、華々しくデビューを飾る。

その後、1956年から約10年間、自分の音楽を鍛えなおすために、演奏活動から身を引く。1966年パリでのリサイタルで奇蹟的な復活を遂げると、1967年からはカラヤンと競演を重ねる。以降、コンサート、レコーディングを精力的に行い、一流ピアニストとしての地位を不動にした。

1972年、28年ぶりに祖国ブルガリアに帰国。政府からキリル・イ・メソディ賞を授与され、1975年に名誉市民権を与えられた。

2012年1月8日、長期間の闘病生活の末、スイス連邦ティチーノ州ルガーノに於いて永遠の眠りに就いた[1]。82歳没。



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