J.S.バッハの演奏は、得てして厳格な約束事が多いため、固いイメージでとられがちですが、実はピアノ音楽の歴史上、一番自由が許される作曲家だと思います。
私の知る限り、グレン・グールドのような演奏があり、それに対してタチアナ・ニコラーエワのような演奏もあるのです。この2つは全く異質であり、それでもバッハの解釈として認められているのです。
ドミトリー・バシキーロフ先生のレッスンにおいて、ある生徒がバッハで受講したのですが、その演奏は基本的に現代のピアノで弾いているというより、作曲された当時の鍵盤楽器を基に様々な装飾音やアーティキュレーションに彩られた非常に凝った演奏でした。
その演奏に対してバシキーロフ先生がまずおっしゃったられたのは
「グレン・グールドは世界に1人いれば充分だ!」
と全くのナンセンスだといわんばかりに否定されたのでした。
これはその生徒とバシキーロフ先生のバッハに対する解釈の違いを物語るエピソードですが、他の作曲家の演奏でここまでの解釈の違いは起こらないと思うのです。
それほど、バッハの音楽には解釈の自由、そして、音楽持つ発想の豊かさ、広さを感じるのです。
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私の知る限り、グレン・グールドのような演奏があり、それに対してタチアナ・ニコラーエワのような演奏もあるのです。この2つは全く異質であり、それでもバッハの解釈として認められているのです。
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その演奏に対してバシキーロフ先生がまずおっしゃったられたのは
「グレン・グールドは世界に1人いれば充分だ!」
と全くのナンセンスだといわんばかりに否定されたのでした。
これはその生徒とバシキーロフ先生のバッハに対する解釈の違いを物語るエピソードですが、他の作曲家の演奏でここまでの解釈の違いは起こらないと思うのです。
それほど、バッハの音楽には解釈の自由、そして、音楽持つ発想の豊かさ、広さを感じるのです。
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