私の現在のピアニズムのルーツとなったタチアナ・ニコラーエヴァ氏の貴重なインタビューを綴りたいと思います。

バッハの音楽の特徴
バッハの演奏を他の作曲家と区別することは難しいと思います。作曲家はそれぞれに非常に多くのものを要求します。私はバッハだけを特殊に考えません。どの作曲家の作品もすべて最良のの演奏を目指し、その演奏上の鍵を見つける必要があります。あえて言うなら、バッハの音楽は非常に現代的です。すでに300年も前に書かれているにもかかわらず、自然に現代に溶け込む音楽です。現代社会の中で、バッハの音楽は常に新しい生命を呼吸しています。専門的に言うと、もちろんまずポリフォニーを習得する必要があります。バッハの音楽は、深い意味でポリフォニックです。そのポリフォニーはバッハからさらにモーツァルト、ショパンへと引き継がれました。この場合のポリフォニーとは、高い次元の意味合いを持つもので、単に複数の声部があるというのではなく、音楽の深さと結びついているものです。
というわけで演奏に当たっては、まずポリフォニーを習得しなければなりません。しかし単純にバッハを他の作曲家と比較することは誤りでしょう。バッハもそれを望んではいないと思います。私は何にせよ専門的に区切るのは良くないと思います。ショパンだけしか弾かない、あるいはバッハしか弾かないというようなことに反対です。演奏家にとってより身近な存在がバッハになるか、モーツァルトになるかは、その人の人生そのものが決めることなのです。

バッハを音楽的に、自然に演奏するには?
これは大変本質的で重要な問題です。一般的にバッハを型にはめて、人間的なものから遊離した存在として捉える傾向がありますね。具体的な例では、当時と同じようにチェンバロやオルガンで演奏するべきだという考えがありますが、それはナンセンスです。私の考え方は、全く正反対です。私は長い間そのような考え方と戦ってきました。生涯をその戦いに捧げていると言っても良いでしょう。なぜならバッハも他のすべての作曲家と同じ、生きた人間だからです。それなのに、なぜかいつもバッハだけが特別扱いされがちです。そしてそのことによって、子供たちに拒否反応を植え付けてしまうのです。
つまりバッハについてある枠を作り上げ、子供に対して、あらゆる感情や表情を殺した、型にはまった弾き方を押し付けるからです。そのため子供たちはバッハの音楽がひたすら嫌いになってしまう恐れがあります。これは間違いですし、大変に恐ろしいことだと思います。バッハは感情豊かな人間として捉えるべきなのです。実際バッハは大勢子供もいましたし、その子供たちを愛していましたし、実に人間的な存在でした。
バッハは自然に演奏しなければなりません。他のすべての作曲家の演奏を同じようにです。特別扱いをして古楽器で演奏し、区別してはいけないと思うのです。そういう演奏は単なる擬古趣味、あるいは博物館に陳列するのと同じようなものに過ぎないと思います。そのこととは別に、当時の時代背景を学ぶこと、あるいは古楽器を知ることは必要です。ただそれを現代に置き換える必要があると思うのです.新しい世界にです。バッハは新しい時代にふさわしい変貌を遂げる作曲家なのです。300年の前に書かれたにもかかわらず、その音楽は全く現代的で、新しい生命を呼吸しています。バッハの音楽は教会を出て、人々の中に入り込んでいます。本当に誰にでも親しめる音楽なのです。そしてとくに大切なのは、この考え方を子供のうちから伝えることです。
私は若い時に、自分の考え方に対して大きな祝福とも言えるものを受けました。それはショスタコーヴィチからで、私の生涯にわたる祝福となりました。彼は私の人間的な生きたバッハ、音楽的で自然なバッハの演奏を心から歓迎してくれたのです。それによって私は、自分の考え方に確信が持てるようになりました。具体的にお話しすると、私が26歳でライプツィヒのバッハ・コンクールに参加した時、審査員だったショスタコーヴィチが私のバッハを大変に評価してくれたのです。ほめられたことにより何より嬉しかったのは、私のバッハの演奏法について、彼が賛成してくれたことでした。ショスタコーヴィチも私と同じように、バッハを生きた人間として考えていたのです。
確かに「自然な演奏」と言うのは、実は一番難しいことなのです。指導する場合は教師の才能にもよりますし、バッハを演奏する側、つまり習う側の才能にもよります。その他様々な要素が考えられます。でもここではごく簡単にお答えしましょう。バッハの音楽に自然に近付けばよいのです。形式的に、ではなく、バッハの、そう、その複数の声部に耳を傾けることです。つまりポリフォニー、最高のポリフォニーに。バッハではそれぞれの声部が独自の主体性を持っています。ですから単にテーマだけを表現するのでは充分ではありません。例えば1つのテーマが流れて、それが繰り返し2声や3声にも出てきます。それらすべてを1つの布のように織り上げるのです。
そう、つまりとても美しいドレスを飾るレースのように…言葉で説明するのは難しいですが…。その素晴らしいレースを作り上げるには、1つ1つの声部がそれぞれに命を持って、補いあうことが大切です。禁欲的にではなく、音楽的に、何より生き生きと表現することです。音楽が生きたものになるように。バッハの音楽ではあらゆる音が大きな役割を持っています。それぞれの声部が独自の主体性と意味を持つ、ポリフォニーの布のようなものなので、すべての声部が聴こえてこなければなりません。そのために演奏するには「聴き取る」能力が必要になります。
ヨハン・セバスティアン・バッハは奇蹟です。この世界が生み出した奇蹟です。彼は天才です。駄作が全くなく、どれをとっても傑作だからです。作品の数からしてそうです。物理的に考えても人間が一生の間にあれだけの数の作品を書けたのは信じられないほどです。バッハは特別な宝石箱のようです。そしてその箱からまた様々な小さな箱が散って行くのです。バッハはこのすべての小箱、つまりすべての音楽の原点となっています。そして彼は私達の時代に、全く新しい生命を持って生き続けます。博物館や教会から抜け出して私達の許へ近づき、これまで以上に貴重な、身近な存在になっているのです。

 

 

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