モーツァルトを聴いていて、モーツァルトの時代のザルツブルクやウィーンを想像することは、私にとって実に楽しいことです。

現代の生活ではありえない、想像の世界の空間。電気もガスもない生活ですから、色々な事情が異なっています。

現代社会のように1日にこなせる事柄の量は、現代とは比較にならないほど少なかったと思います。

例えば食事の時間1つをとっても、現代のように出来上がっている食べ物を買ってきて、さっさと食べて容器は捨てることとは違い、もっと時間が必要ですし、質素ではあっても食事の時間を楽しんでいたと思います。

時代はもう少しだけ後になりますが、かのベートーヴェンは、毎朝、コーヒーを淹れるのに決まった豆の数をきちんと数えていたというほどですから、時間の流れがもっとゆったりとしていたの違いありません。

また、そもそも車もない時代ですから、もっと生活音がない、静けさの中で生活をしていたと思います。それによって、もっと素朴な音や自然の音、例えば風や雨、川の流れ、人々の足音、馬車の音などが静かに聞こえていたはずです。

そしてテレビもインターネットもない時代ですから、情報というものが非常に限られ、それもなかなか伝わってこなかったでしょう。

そういうことから想像するに、現代社会に生きている私たちと比べ、もっと感受性が鋭く想像性が豊かだったのではないかと思うのです。

現在、私は都会の中で生活しておりますが、意図的に時間の流れをゆっくりと感じられるように、可能な限り予定のない日や時間というのを持つように心がけています。予定がなく気の向くまま、物事を考え想像を膨らませるのです。

例えば、テレビをつけることは全くありませんし、明りも必要以上に明るくしないよう間接照明だけにしてみるなど音も光も身体や心に刺激の少ない状態に自分自身の身を置くことを意図的にします。

情報があふれ、気がついてみるとそれに翻弄されていたり、毎日の予定に追われて夜空の星も見ないような生活をせねばならない現代社会において、芸術家が真の芸術家として生きていくのは困難に感じます。

先に挙げたような事柄、特に時間の流れがゆったりと感じられるような生活を意図的にすることにより、頭が柔らかくなり、より想像性に富んだ状態で音楽と向き合うことが出来ると思います。
 

 

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