私が子どもの頃、まだ国内のコンクールは今ほど存在していませんでした。
昨今は、一度ピアノから離れていた方々が、時を経てピアノを再開しコンクールに挑戦するなど、小さな子供からアマチュアまで参加できるコンクールが多数できました。コンクールを目標として練習に励むのは、広い意味で日本のピアノ界の活性化につながりおおむね良い結果をもたらしていると思います。
ただ、1つ気になるのは、コンクールを目指す上で負の部分もあるということです。
コンクールの結果に対して一喜一憂する気持ちは理解できますが、コンクールの存在がその人にとって大きくなり過ぎてしまっている状況をしばしば感じます。
私自身も幸運にも国際コンクールで受賞しましたが、喜びは一瞬で過ぎ去りました。世の中には私よりも素晴らしいピアニストがたくさん存在する現実を考えたときに、自分自身に嘘はつけない自分がいました。
ですから、現在の自分の意識の中に○○コンクール受賞者であるという意識は全くありません。
あくまでもコンクールはコンクールに過ぎないのです。結果に対しておごることはもちろん落ち込む必要もないのです。ですからコンクールの存在に振り回されないことが大切だと思います。
私はコンクールの審査員という仕事を過去に1度だけしました。それ以来、何度か依頼は受けてますが、すべてお断りしています。
なぜならば、1度経験してみて審査をするということの難しさを感じたからです。
まず、演奏を点数に表すということに抵抗と疑問を感じました。どう考えても、私自身がそれを納得できる答えが見つからないからです。現在でも演奏を数字に表すことはできるものではないと確信しております。
次に絶対に公平な審査は不可能だと感じました。例えば1人目の演奏者と30人目の演奏者では、たとえ同じ曲であっても、自分自身の心や体の状態が違いますし、同じ条件のもとでは聴くことが出来ないからです。30人目の演奏者を聴いているときには、既に1人目の演奏は記憶にないのです。仮に点数の差が5点になったとしても、その5点の差がなぜなのかさえ分からないことを実感しました。
それゆえ私がやるべき仕事ではないと考えるに至りました。
コンクールの審査員をして、感じたことがもう1つあります。
何十人もの演奏を一度に聴いて採点しなくてはならないわけですから、1人1人の演奏を具体的に聴くことは不可能に近いと思います。
例えるならば、頭を真っ白にした状態で聴かざるを得ないわけです。
ということは、演奏者の立場からすると、ちょっとした小さなミスタッチなどが気になるとは思いますが、一般に審査員は細かい部分こだわって聴いていません。
ひとことで申し上げるならば、あくまでも「印象」として大きく受け止めて聴いているのです。
ですから、演奏者の観点と審査員の観点は基本的に異なっていると思うのです。演奏者は自分の演奏が、どんな「印象」を与えるのか?という観点で審査結果を受け止める程度に考えてみてはどうでしょうか。
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