私自身、奏法を変えたことにより、たくさんのことが感じられ、理解できるようになりました。それは、演奏法に限らず、ピアノという楽器の特性、それぞれの作曲家に対する見解、そして、ここで一番申し上げたいことは、それぞれの演奏に対する、判断基準が確固たるものになったことです。
1980年に開催されたショパン国際コンクール。第1位はベトナム出身のダン・タイ・ソン,第2位はロシア出身のタチアナ・シェバノワ、そして第3次予選で落ちてしまった、旧ユーゴスラビア出身のイーヴォ・ポゴレリッチ。彼が本選に進めなかったことで、審査員であったマルタ・アルゲリッチが激怒してジュネーヴに帰ってしまったのは有名な話です。
これらの3人のピアニストたちには、同じモスクワ音楽院の学生だったと言うこともありますが、それぞれ異なる素晴らしい個性があり、その後の活躍はそれぞれの道を歩み円熟の境地に達していると思います。
ここで思うのは、演奏する側に責任があるのはもちろんですが、審査する側、聴く側にも責任があるということです。愛好家が聴くのであれば、「好き嫌い」のみで判断してかまいませんが、プロはそうであってはならないと思います。好きか嫌いかで判断するのではなく、技術的、音楽的、本来、この両者は切っても切り離せないものだと思いますが、いずれにしても、両者を合わせたピアニズムが確立されていて、そのピアニズムをもって価値判断すべきだと思います。
ポゴレリッチというピアニストのピアニズムは評価されるべきだと思います。あの時、本選に進めなかったという審査員の判断に異論を私は呈したいと思います。もしくは、ポゴレリッチの演奏が誤解されたのか、もっと言ってしまえば、多くの審査員のレベルをはるかにしのぐピアニストだったのかもしれません。
そういう私は、彼の演奏をもちろん評価しますが、好き嫌いで言えば、嫌いではありませんが、好きではないのです。しかし、素晴らしいピアニストだと思います。
世界のピアニズムには、正当な価値基準が確固として存在するのですが、残念ながら、一部の審査員においては、混乱状態、もっと言ってしまえば無知な審査員もいるのです。残念ながら、本場でもそうなのですから、当然ながら、わが国においても、まだまだ、発展途上です。
アルゲリッチというピアニストの評価も、残念ながら、日本のピアノ教育の現場では、認識が低いと思います。それが証拠に、世界で認知されているにもかかわらず、アルゲリッチの演奏会に行くことを勧める教師は、殆んどいないのではないでしょうか。思うに、アルゲリッチが何を考え、何を実践しているかを理解せず、表面的に捉えてしまっていて、彼女に対して良い評価をしていないような気がします。
私は、教育者として、生徒たちには、正当な価値基準を持ってほしいと思っています。 単純に、「好き嫌い」でピアニストを判断するのではなく、確固たるピアニズムを身に付けさせ、己も含め、他者の演奏に対しても、正当な価値判断ができるようになってほしいと思います。
素晴らしいけど、嫌い!
下手だけど、好き!
こんな矛盾があってもいいと思います。
ある時、耳にした言葉があります。10年ほど前のアルゲリッチの言葉です。「私が最もうまいと思う日本人ピアニストでも、世界の中では『中』程度のレベルだと思う」 残念ながら正当な判断だと思います。 彼女にその言葉を翻させるような、世界的レベルの日本のピアニストが生まれてくれることを期待しつつ、私も努力したいと思います。
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