私はなるべく、生徒とともに時間を過ごし、また、最大限のエネルギーを割くように努めています。

 

もちろん、生徒は各自違う個性を持ち、性格や考えも違うので、全員に対して、同じように接するということは不可能ですし、むしろ、良い結果をもたらすとは限りません。ですから、それぞれの生徒の色が違うように、それぞれとの結びつきも違います。

 

特に芸術を教えるということは、技術はもちろんのこと、それ以上に幅広く、生徒に影響を与えるべきだと考えています。

 

それは、ピアノにおいては、上手く弾けるようになることが目標ではなく、最終的には人間として、どういう人生を送るべきか、というような哲学につながることであり、そのようなことを含めて、生徒に対して影響を及ぼすことを意味します。

 

私くらいの年齢では、まだまだ、おこがましいのでしょうが、こんな私でも、10代、20代の若い人にとっては、ほんの少し、人生の先を歩いていると思いますので、私の考えや日々感じることを率直に述べるようにしています。もちろん、それぞれの生徒との相性もありますので、限られた範囲で接しなくてはならない面もありますが、私本来の理想は違います。

 

1週間に1時間、それもピアノのことだけというつながりの教師と生徒が一般的だと思いますが、本当に芸術家を育てようとするならば、それだけでは不足だと思うのです。これは、私自身が、学生時代に恩師に同じように接して頂いた経験から思うようになったことです。その影響は、限りなく大きなものだったと言えます。

 

ロシアの名教師、ゲンリッヒ・ネイガウスも、生徒たちのために、いつでも、自宅の扉は自由に開かれていたとのことです。彼は、音楽という範囲を超えて、幅広く生徒たちに影響を与えていたようです。

 

このようなことを述べると、理想論に過ぎないと思う方もいらっしゃると思いますが、やはり、原点は、近代的な音楽教育システムではなく、師弟という関係にあると思います。生徒のレベルや目標がどうあれ、一人一人を大切に育てていくことを考えています。

 

また、賛否両論があると思いますが、日本の伝統芸能の世界には、このような伝承の仕方が残っていると感じます。それに加えて、弟子は師匠のもとへ「稽古」に通うのです。これは、私自身、生徒によって教わったことなのですが、一般的にピアノの「レッスン」は、あくまでも「レッスン」にすぎず、本来の「稽古」に通う意味とは異なっていると思います。しかし、私のところでは、生徒のレベルが上がるほど、「レッスン」というより、「稽古」の要素が強くなります。

 

例えば、生徒が既にピアニストとして、各地で演奏しているとしても、「稽古」は必要に思います。実際、日本の伝統芸能の世界では、当たり前のことですが、日本のピアノの世界では、あまり、そういった傾向はないように感じます。

 

また、世界中を回っているピアニストでも、その曲を人前で弾くには、自分の練習だけでは、ステージには上がれないはずです。信頼の置ける誰かの前で、いわゆる「稽古」として、演奏を聴いてもらい、いろいろな意見を参考にしているのではないでしょうか。本番をたくさん控えていて、演奏を大切に考えている人ほど、「稽古」をたくさん積み、それを重要に考えていると思います。

 

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