神の子 | Chipapa の備忘録

Chipapa の備忘録

忘却は、人間の味方であり敵であり。。忘れたくない珠玉の思い出達を書いていこう♪

娘@5歳と、息子@2歳と、母と4人でお茶していたら、娘が、突然言った。

「子Chipapaちゃんは、ハハのおなかから出てきたけど、でも、本当は、ハハだけの子じゃないんだよ」

ほーう。妙な事を言う。「ん?どういうこと?」と聞くと、娘が続ける。

「本当はね、子Chipapaちゃんは、ハハだけの子じゃなくて、みんなのなんだよ。子供はみんな、そうなんだよ」

びっくりした。
だって、最近私もよく思っていることだったから。
だけど、そんなこと、私、言ったっけ?

誰にそんなことを聞いたのか、娘に聞いたら、誰にも聞いていない、という。子Chipapaちゃん、自分で分かるんだよ、って。母に聞いても、そんなこと教えてないし、そんな本も読んでいなければ、そんなテレビも見ていない、という。

それはそれで驚いたんだけど、でも、この子は、小さい頃から突然はっとするようなことを言う子だったから、それが、彼女の感性なのか、第六感みたいなものかは別として、彼女が生まれたときから一緒にいる私としては、そんなに可笑しくもない。さすがに、まだ3歳の頃、保育園のお友達のお母さんが2人目の赤ちゃんを産んだときお見舞いにいったら、「ヒー、ヒー、の、フーって、がんばって産んだの?」と言ったのには、ちょっとぎょっとしたけれど。私は帝王切開だし、お産の時の呼吸法まで教えていない(笑)

話を本題に戻すと、私は最近、確かにこの子達を産んだのだけど、でも、子供たちが大きくなり、それぞれの人格をきちんと持ち、個性もそれぞれ、感性もそれぞれ、私の思いもよらないようなことをやるようになってくると、どうも、私が「妊娠・出産」という、次代を生み出すために生物としてやったことは、確かに、母親として必要な機能だけど、でも、だからといって、子供はずっと手の内にない、というか、それは当たり前として、それよりもっと、もっと、大きなものに動かされているような気がしてならない。

だからといって、親になんの力もないか、と言えばそうじゃなくて、子供が初めて接するのは親だから、そして、多くの場合は母親だから、そこでちゃんとした環境を与えるのは義務だし、それによって、子供の肉体的精神的成育が大きく変わるのは、よく分かる。

でも、なんでそんなちゃんとした環境を与えたいと思うのか?
一個の個体として、自分の子供には幸せになってもらいたいからか?
それも、もちろんある。それは、本当にそう思う。
私の子供たちには、幸せになってもらいたい。
そのために、私は働くし、できるだけいつも笑顔で楽しい気持ちでいて欲しいし、沢山楽しい思い出を作って欲しいから一緒に色々な所に行ったりもする。

けど、時々、この子たちは、確かに私のおなかを借りて生まれてきたけれど、でも実は、大切な一個の別の個体であって、それは、神というか宇宙というか、この世というか、ユニバースというか、ヒューマン・ビーイング全体っていうか、何て言うんだろう、そういう、大きなもののための、かけがえのない存在なんじゃないか、という思いに圧倒されそうになることがある。それが、「種の保存」という、私のDNAにも刻み込まれている、生物としての本能によるものか、それとも、もっとスピリッチュアルなものなのか、ちょっと私には分からない。

ちなみに、私は、宗教というものは、人が人たるよう、精神を充実させ、人を愛し、努力をし、何かを信じ、前向きに生きていくのにすごくよいものだと思うし、日本ではあまり重視されていないかも知れないけれど、民族も国家も違う世界全体の中で生きていくには、外せないものだと思っている。でも、個人的には、無宗教。強いて言えば、アニミズムに近いかも。

そういうわけで、私は、子供たちのことを、親として大切だと思う一方で、仮に「神の子」とでも呼ぼうか、そういう、個体としての私を超えた存在のためにも、大切なものだと思っている。だから、大切に育てなけりゃいけない。子供たちが、私の手を離れ、自分の頭で考え、自分の力で行動し、ちゃんと、かけがえのない一個の人として、幸せに生きていけるように。私が今感じているような、宇宙のような、全体の中でも、何某かに貢献できるような、ちゃんとした一個の人に育つように。