先週は月初の事務作業に加えて

同時に急ぎの図面が大量に舞い込んできて

毎日残業でした


疲れると、声が枯れるようになりました


土日で回復

明日は終わらせないと


------------


父は今年6月、施設に入所しました

施設に入るまでの数年の経過を記録していきます



父がラーメン屋を引退したのは

コロナが流行るギリギリ前の事


お店を引き継ぎたいと言う

沢山の飲食店を経営している会社に譲った



私の家系では誰も継ぐ人がいない

なので、いい話だった



新しく引き継いでくれる会社に

引き継ぎをする辺りから、物忘れがでてきた



従業員には

社長はすぐ忘れるんだからー

と言われていたらしい



引き継ぎに必要な会社の書類など

大事な書類をなくしてしまったり


父も自覚していて、それにイライラして

「俺はバカになったんだ!」


と頭を抱えながら書類を探していたのを

今でも覚えている



拍車をかけるように

母に対するストレスに耐えられななったんだと思う

(母はヒステリー気味)



父から夜電話で

「お父さんは大丈夫だからな」

普段携帯電話なんて使わないのに電話してきて


私に聞いて欲しかったのかもしれない




この頃は鬱と認知症の初期だったのかもしれない



それから両親はお店を売ったお金で

母の実家のあった土地に家を建て

そこに住む事になった



お店を引退、引越してから

仕事一筋だった父はやる事がなくなり

友達も少ないので

さらに物忘れが進んだ


同じ事を何回も繰り返して話す



知り合いなどが家に来ると

明らかに会話がおかしいので

なんとなく周りも認知症なのかと思っていたと思う




私はそのあたりから

実家の近くのアパートに引っ越した



お互いストレスになるので

一緒には住みたくなかった



先に出した母について

母は難病で私が離婚する辺りから

歩けなくなり、今はずっと車椅子生活


そのせいで母は口うるさく

歩けないストレスを父にぶつけていたんだと思う




父がアルツハイマー型認知症と診断されてから

道を間違えるくらいで

しばらくは運転していたけど

何かあってからでは遅いと思ったいた


先生からも言われ

運転免許を一緒に返納しに行った



買い物は、頭の運動になるので

近所のスーパーに歩いて行かせた


母が紙に書いた買い物リストを持って

店員さんに聞いたりしていたらしい



数年、その状態でいたが



一昨年の年末

父が1人でコンサートに行きたいと言うので

タクシーだし、大丈夫だろうと思って行かせた



帰って来なかった

初めての行方不明


終了から時間が経っているのに

帰ってこない


閉館したコンサート会場に探しに行っても居なく、会場から家までの道を探したけど居ない



どうしよう、見つからなかったら警察か



探し回ってしばらくして


家で待機している母から

父がタクシーで帰ってきたと連絡が


実家に戻ると父は険しい表情で座っていた



帰りに気分良くなって飲みに行ったんだ!

悪いのか!


と、母に責められて怒っていた

そして怒ったまま寝室に行った



一気に進んだのは去年の春頃から



次に続きます