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趣味で戦国時代のお城の研究をやっています。
発掘調査現地説明会やホームページの更新情報を掲載しています。

お久しぶりですm(__)mようやく秋の気配が深まってきましたね~

今年の夏は例年になく蒸し暑かったように思います。今年の夏は、1ヶ所も城を見に行きませんでした・・・・・・



さて、「本の解釈はあてにできない・・・・??」シリーズ第3弾です。
またしても下山治久『戦国時代年表 後北条氏編』(東京堂出版、2010)ですが、許してください。仕方がなかったんです・・・・・・。


(天正3年)正月10日付白川義親宛北条道感書状写
(『小田原北条氏文書補遺』一族・家臣発給文書15号)
 
全文を掲載するとやはり長いので、問題となる部分だけ掲載します。問題となる部分とは、


「仍旧冬於関宿、始佐・宮東方之衆、氏政懇望、就此儀、御存分具披露御紙面候、尤子候左衛門大夫ニ申付、氏政具為申聞候様ニ、随分意見可申付候、幸佐・宮和之上者、其口之調儀有之間鋪之由、深存候」


この部分です。
この解釈なんですが、下山治久『戦国時代年表 後北条氏編』(東京堂出版、2010)には、


「昨年冬の下総国関宿城攻めに、佐竹義重・宇都宮広綱との事で北条氏政の懇願により義親に書状で知らせたが、子息の北条氏繁にもよく申しつけた。幸に佐竹と宇都宮が和睦したので北条氏がその方面の事に口出しする事は止めると理解し……」(259頁)

とあります。

問題点は3つ。

①「仍旧冬於関宿、始佐・宮東方之衆、氏政懇望」について


下山氏は「北条氏政の懇願」としていますが、果たして妥当なのでしょうか?

まず、「懇望」とは、「悃望」とも書き、「切に希望すること。ひたすら願い望むこと。切望。懇願。懇請。」(『日本国語大辞典』)との意味です。転じて、降服の意も示します。
関宿城は、天正2年閏11月16日に、北条氏の攻撃により降服、開城しています。つまり、北条氏が勝っているんです。なのに、なぜ氏政が懇願しなければならないのでしょうか?

次に、氏政が「懇望」した相手です。下山氏は、「北条氏政の懇願により義親に書状で知らせた」と記し、氏政が自身(北条道感)に「懇望」したと解釈しています。

ここではここまでの記述にとどめ、この2点の問題をふまえた上で、次の点にうつります。


②「就此儀、御存分具披露御紙面候」について


下山氏は、「義親に書状で知らせた」と解釈していますが、果たして妥当でしょうか?
本文をもう1度見てみましょう。

就此儀、存分具披露紙面候

以前ブログに書いた、「本の解釈はあてにできない・・・・??」(http://blogs.yahoo.co.jp/chip3vanilla/32667600.html)でも出てきました。
「御」の字がついています。

よほど高貴な方でもない限り、自分の発言に「御」はつけないです。
では、「御」をつけるべき相手は誰か。この書状の宛先である、白川晴綱です。

よって、この部分の解釈は、
「この件について、白川義親が私(北条道感)に、義晴の御存分を詳細に御紙面(御書状)で披露なさった」
とすべきかな、と思いますがいかがでしょうか??


これが正しいとすると、前述した①「仍旧冬於関宿、始佐・宮東方之衆、氏政懇望」の解釈も変わってきます。
ここで「懇望」したのは、関宿城を手中にした北条氏政ではなく、敗北した「始佐・宮東方之衆」、つまり、佐竹・宇都宮両氏を始めとする「東方之衆」である、ということになります。



③「幸佐・宮和之上者、其口之調儀有之間鋪之由、深存候」について

下山氏は、「幸に佐竹と宇都宮が和睦したので北条氏がその方面の事に口出しする事は止めると理解し」と解釈しています。

しかし、この時、佐竹氏と宇都宮氏は味方同士(「始佐・宮東方之衆」とひとくくりにされている)であり、佐竹氏と宇都宮氏が和睦(仲直りみたいな…?)することはあり得ません。和睦したのは、北条氏と佐竹・宇都宮両氏の間です。

また、「其口之調儀」とは、「「其口」(つまり白川義親のいる所)への軍事行動」という意味ですが、その軍事行動をするのは誰か。これは北条氏ではなく、佐竹氏です。佐竹氏は天正2年、南奥羽に侵攻しています(荒川善夫『戦国期北関東の地域権力』岩田書院、1997など)。

北条氏の勢力圏のはるか外にある、白川義親のいる南奥羽に、北条氏が直接攻撃をすることは不可能です。そのため、北条氏が主語であると考えた下山氏は、「その方面の事に口出し」という苦しい解釈をせざるを得なくなったのです。

ですが、主語を佐竹氏に変えるとすっきりします。佐竹氏は北条氏と和睦した以上、北条氏に味方している白川氏を攻撃できなくなったのです。だから、軍事行動はないだろうと記されているのです。



まとめ

以上の3点をふまえて、冒頭にあげた問題となる部分について、私たいぞうの解釈を示したいと思います。



「昨年冬、関宿において、佐竹・宇都宮氏などの「東方之衆」が、北条氏政に和睦を懇願した。この件について、義親様は、自身の御存分を、詳細に御書状にて私(北条道感)に知らせてくれた。私の子供である左衛門大夫(北条氏繁のこと)に命じ、北条氏政に義親様の御存分を知らせるよう、可能な限り意見を申し付けるつもりだ。幸運なことに、佐竹・宇都宮両氏と北条氏が和睦した以上、私は、白川義親への攻撃はないと思っている


合っているかはあまり自信がありませんが・・・・・・いかがでしょうか?