面倒なので、読んだ論文のまとめを、メモ代わりにここに書きます。
福島克彦「文献史料と城館研究」(『中世城郭研究』28,2014)
1.問題の所在
・「杉山城問題」が提起すること
…縄張り研究が、他分野に対し、研究史の潮流やその遺構年代決定作業を発信、提示する視点や姿勢の欠落(237)
・縄張り図は史料か、論文か
…縄張り図を史料(資料)と認識するか、あるいは論文と認識するかによって大きな相違(239)
→縄張り研究の強みは、城館遺跡が普遍的に残存している中世遺跡である点(240)
→遺構的類似性の抽出と分布論を組み立てることによって、文献や考古資料による歴史像と相対化することが可能
⇒縄張り図は「論文」ではなく、「史料」として扱うべき(240)
・縄張り図を書いてきた側から、文献史料を読み直す必要性
…その1つとして、城そのものおよび防禦施設に関する城郭用語を集積する作業が不可欠(240~241)
2.城郭関係用語の検討
・櫓・天主
…14世紀は可動式の簡易な施設であったが、16世紀には固定的な施設へと変化(242)
→戦国期以降、櫓の差別化
→差別化の動向が進展し、織豊権力が「天主」という独自の表現を設け、他の櫓とは別個なものとして位置づけ(241)
・外城、外構、惣構
①15世紀中葉より畿内近国で「外城」の用語が出現
→研究用語でいう「支城」に相当(243)
②16世紀中葉より、「本城」と「外城」が並立して使用される事例が出現
→「本城」と隣接する外縁部の意味を持つように(243)
③「本城」の外縁表現の変化
→「外構」、「惣構」用語の出現。豊臣期における「惣構」事例の増加
→「外城」「外構」から「惣構」への変遷理由は不明だが、「惣構」を使用することで内外の区別意識を緩和し、一体感を出す狙いがあったものと思われる(243)
・曲輪と丸
…同時代史料としては、東日本=「曲輪」、西日本=「丸」の分布。徳川期に融合
・城主
…神仏関係史料に表記されている場合が多い
→寺社に対する寄進や信仰心の表明の際、自らのステイタスを示す意味合いで「城主」を使用したものと考えられる(244)
→かつて反体制的、あるいは非日常的な意味合いの強かった「城」は、「城主」表現の定着で地域に根ざす存在に変わっていたものと思われる(244~245)
3.城域の範囲
・木津の事例
…文献上の「城」は、時代によって、その区域が変化される可能性(245)
おわりに
今まで、大名権力論のように政治史とリンクして、城の構造の変化が進められてきたが、今後は、こうした用語の地域性も遺構の分布や特徴を見る重要な論点になると思われる。
【感想】
城関係用語の検討は重要だと思うし、自分もやっているが、縄張り研究の問題点から、なんで城郭用語を集積する作業が不可欠、という流れになったのか……いきなり急展開だな、という感じでした。研究史でとりあげるには、ちょっと厳しい。
「縄張り研究の強みは、城館遺跡が普遍的に残存している中世遺跡である点である。これを認識すれば、遺構的類似性の抽出と分布論を組み立てることによって、文献や考古資料による歴史像と相対化することが可能である」というのはいいなぁ~。