面倒なので、読んだ論文のまとめを、メモ代わりにここに書きます。
3回目。2回目のところに「陣」についての見解を書いてしまいました^^;「感情的」になってしまいましたね(笑)
中井均「中世城館跡の考古学的研究」(『織豊城郭』14,2014)
1.城館跡の発掘調査
略。城の発掘調査の歴史。
2.発掘調査で得られた新見地
・発掘調査が城館研究にもたらした成果
…城館の存在した実年代が明らかになったことや、城の変遷、つまり改修などの時期や回数が明らかになった点(3)
→発掘調査によって具体的な中世の城館のあり方が明らかとなった意義は大きい(4)
3.城館研究としての考古学
・『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』の事例
…出土遺物の状況分析
→遺構と遺物の定量計算という考古学の手法によって、城館での居住を明らかに(5)
4.織豊系城郭研究の成果
・石垣・礎石建物についての研究史
・考古学的研究と縄張り研究
…千田嘉博氏の虎口編年
→地表面に残された虎口であり、その実年代も文献による
⇒発掘調査によって検出された虎口との間には齟齬(7)
・田辺城の事例
…枡形虎口が検出され、15世紀後半、もしくは16世紀初頭の枡形虎口として評価
→縄張り研究者から、「その年代に枡形虎口はありえない」
⇒門の存在、とりわけ構造においては、城郭の縄張りではなく、パーツとして捉えられるものであり、遺物の年代と一致することは矛盾しないと考えている(7)
◎膨大な発掘調査の成果を集成すれば、地表面という2次的資料ではなく、遺物から年代の決定できる1次資料が増加することは間違いない(7)
おわりに
・考古学的資料から城館跡の研究が確実に深化したことは明らか(8)
【感想】
発掘調査で出土した遺物の年代をもとに遺構の年代を決定できる、という考えがはっきりと伝わってくる論文。木島氏や中西氏の見解に対し、正面から受けて立っているのが中井氏、という図式ができあがっているのかな、と思う。
であるからこそ、なんで杉山城の遺構を天正18年としたんかな、と思う。
竹井氏の言を借りれば、「遺物編年を正しいとしながらも、それを棚上げにして立論している」というところか。
中西氏は新府城や津久井城を事例に、中井氏は田辺城や山田城を事例にして自説を補強している。注目すべきは、両者が別々の城を事例にあげていることである。これでは議論が堂々巡りになってしまう。中井氏には是非、新府城や津久井城の発掘調査を事例に立論していただきたい。
「弱点となりそうな事例は目をつぶって、優位になりそうな事例のみをあげている」
と言われないように……。
『中世城郭研究』14のシンポジウム概要で、柴田龍司氏が述べている点が興味深い。
昨日の個別報告の話で触れましたが、そこで感じたのは、国指定ということもありまして、当然、整備委員会を作らなければならないんですけれども、そういうところに集まって頂いた先生がたの色々な分野からの意見。それか、周囲の同じ考古学の関係者の意見、いろんな意見があるかと思うのですが、そういった人達の意見を常に取り入れて、担当者自身が咀嚼して、自分なりの意見を作っているという姿勢が非常に感じられました。
ところがそういう面で、縄張研究はどうなのかというと、唯我独尊とは言いませんけれど、かなり個々の意見を固守する、それが縄張研究の特色の一つではあるのですけれど、同じく城郭考古学、縄張研究それぞれが一国一城の主なんですけれど、ずいぶん主のあり方が違うんだなというのは非常に感じました(261)
非常に大人な発言ですけど、言っていることは強烈。