撃たれたい。ルパンが好きです。でも原作至上主義なので、設定を勝手に変えてくるOVAとか、ましてや実写映画化なんて言語道断もってのほか許せない。そんな私に対して本日地上波初登場で実写映画のルパンがオンエアされるという。はん、と鼻で笑ってやろうと思う。ディスる為だけに前半の30分だけ見てやろうとテレビをつけたら、次元役の玉山鉄二のあまりの格好良さにびっくりした。結局全部見た。びっくりした。二時間ずっと格好良かった。びっくりした。
子どもというもの。子どもがでかくなるに連れて、子どもをますます愛しいと思う不思議。可愛いさでいったら、0、1歳時のあの圧倒的な可愛いに勝てるものなんてないけど、でも段々と意志が出て、主張が現れて、我を持ち始めて、母の予想を離れていくと、どんどん面白くなっていく。所謂生まれか育ちかという話にとても興味があったから、子どもが生まれる前からずっと注目して観てた。自分の感想で言うならば、生まれもっての性質というのは、半端なく生まれた時から在ってそして不変だと思う。飾られたり、削がれたり、隠されたり、色付けされたり。それを変えたいのか解放したいのか、それが育ちなのかな。自分は本が好きで、本からあらゆる刺激と国語能力をもらったから、子どもが一歳の時から毎月絵本を二冊買って一緒に読んできた。5年続けてきたけど、でも子どもは全く興味を示さない。いわゆる文章読解能力も全くない。かと思えば公文に行きたいとか言う。勉強なんてしなくていい。今は遊べと言っても聞かず、仕方ないから連れていったら算数楽しいと叫んでる。知らない人でも平気で「おはようございます!良い天気ですね!!」と挨拶してドン引きさせるくせに、食事の挨拶はできない。頂きますと御馳走様の意味を説いても耳に入ってない。そこに手を合わせる必要性を感じない。思い通りにいかない。あれをしてはいけない、こうであって欲しいという親の願いは、単に親の欲だという単純な事に気付いて、ある意味「子育て」を諦めた時に、やっと子ども本来の育ち方がちょっとだけ見えた気がした。もちろん言いたい事と言わなきゃいけない事は言う。喧嘩する時はする。人間だもの。子どもが生き甲斐なんて思わないけど、自分の人生にわくわくしてきたのは俄然子どもの力だと思う。昔はあんなに大人になるのが嫌だったのに、今は歳を重ねる毎に益々楽しい。よく自分を愛せない人に他人は愛せないというけど、自分の分身のような子どもを可愛い、面白いと思うに連れて、自分の人生も成る程楽しくなるもんだ。そういえば昔は小さな子どもが大嫌いだった。どんな赤ん坊だって可愛いと思えなかった。そんな頃の自分は、そういえば自分の事が大嫌いだった。面白いな、そういう事だったのかと思ったり。涎を垂らしながらついでにオネショもかましてる子どもの寝顔を見ながら、感心したり、愛しかったり、この布団どうしようと悩んだり、母は目まぐるしい。
整理。前職を辞めて約3週間、慌ただしさの中で先送りになっていた歓送迎会を開いてもらった。久し振りに会う皆が何だか懐かしくて嬉しくて、今が新しい環境にいっぱいいっぱいな分、とても楽しい時間で思わず戻りたいなんて思ったり。でも、当たり前だけど、自分がいなくても進んでいる時間にちょっと寂しさを感じて。「大変だよ」と言いながらも、笑って話せる新しいチームの空気が、ああ、私が戻る場所はもうないんだなと、自分から飛び出したくせに、頼もしさとポツンとした気持ちが一緒に残った。なんとなくこの気持ちを抱えたままだと、なんとなくこのまま本当に道が分かれて行くんだなって、感じたら何だか嫌だった。必死に食らい付いてた時間を、築いたものを、完結したくて辞めた訳じゃない。から、帰り道必死に課長に愚痴った。新しい環境に慣れない事。仕事の量が多すぎてめげそうな事。今までの業務経験から見て、もっと効率化出来る、もっと上手く回せるはずだと分かるのに、具体的なやり方と専門知識が足りない事。だから課長や他のメンバーの意見が聞きたいと願ってる事。だから私が新しい環境と仕事の全体が少し見える頃、あと3ヶ月後くらいにまた飲みましょう、付き合って下さいねと、がーって喋った。別のピースが嵌まった場所に、今までと同じ気持ちと形でいても余るだけで、だから新しい関係性が必要なんだ。うん、ちょっと寂しいけど、戻りたい訳じゃない。続きたい、だから新しい関係を始めて行かなきゃいけない。だから頼るし、私が得たものも還元したい。向こうも望んでくれたなら、きっとまた一緒に今度は違う景色が見えるかななんて。気持ちの整理。とりあえず家に帰ったら「物凄くニンニク臭い」と言われて、そういえば課長の分まで焼ニンニク食ったなって思い出して、その状態で課長に向かって想いの丈とニンニクブレスをぶつけたわけで、きっとニンニクは伝わっただろうけど想いの丈は伝わってたかすごく心配。