ご報告
アビ太郎の母です。
前回の更新から、季節も変わり、ずいぶん時間が経過してしまいました。
アビ太郎が元気に暮らしている姿を、もっと、長く、残していけると信じていました。
しかし、現実はそう甘くはなく…
なかなか更新する気になれずにいました。
当ブログの主人公アビ太郎は2013年7月1日永眠しました。
アビ太郎はFIP(ドライタイプ)と闘っていました。
FIPは致死率ほぼ100%という恐ろしい病気です。
最初の異変に気づいたのは血尿からでした。
当初は膀胱炎を疑いましたが、膀胱炎に当てはまる症状はなく、原因が分からないままでした。
ひとまず炎症を抑える薬を処方され様子を見ることになりました。
それから3週間後の4月下旬、食いしん坊のアビ太郎が丸一日食欲もなく元気もない日がありました。
かかりつけの診療時間がすでに過ぎていたため、翌日朝一で病院に連れて行こうと決めたすぐ後のことでした。
急に咳き込んだ後に、おなかでハアハアと呼吸するようになったのです。
その日遅くに夜間病院に担ぎ込み、そこで可能な検査と経過観察を受けた後に、翌朝かかりつけの病院に駆け込みました。
約1週間後、病気の可能性を消去法で探っていった結果、確定診断されたのがFIPでした。
約2ヵ月半もの間、アビ太郎は日帰り入院と通院を続けました。
健康な人間が生涯打たれるであろう数を大幅に超えるような点滴と注射に耐えました。
薬入りのゴハンも、時間はかかりましたが、毎日残さず食べてくれました。
ずっと辛く苦しい闘病だったわけではありません。
闘病中の最初の2週間と最後の1週間を除いては、100%元の姿とはいかないまでも、アビ太郎らしい元気な姿を見せてくれました。
食い意地があって、茶目っ気たっぷりの、愛らしい姿です。





病院の先生が感心する程の回復力を見せてくれました。
しかし、どれだけ元気そうに見えても、完治する病気ではなかったため、良い状態をどれだけ長くキープできるかが、治療の目的でした。
闘病が始まった頃は、毎日が峠のような気持ちで見守りました。
アビ太郎の食欲が少しずつ戻り、体重も戻って元気になると、1日でも長く、1週間でも長くと祈るようになりました。
ドライタイプのFIPの顕著な症状である、脚の麻痺が出てからの最期の1週間は、支える私たち家族も辛いものがありました。

正直しんどい時間ではありましたが、可能な限りアビ太郎に寄り添い、濃密な時間を過ごしたんだと今は思います。
病気が判明してからは、
アビ太郎ができるだけ長く元気な状態でいられるように、
アビ太郎ができるだけ苦しまずに済むように、
見守り、支え、そして見送ることが、私たち家族の目標でした。
できることはやりました。
目標は達成できたと思います。
だから、後悔はありませんでした。
しかしながら、人間というものは不思議なもので、時間が経つにつれて、辛いことや悪いことは忘れてしまうんですね。
良い思い出だけが心に残る…
そして闘病の記憶よりも、病気になる前の元気なアビ太郎の姿をより鮮明に思い出すようになり、
病気と真正面から向き合って必死で闘ったアビ太郎の姿を見て、そして支えたにもかかわらず、
あんなに元気だったのに、なんで病気になんかなっちゃったんだろう、
病気にさえならなければ、きっと長生きできたはずなのに…と、
アビ太郎がいないことの、別の辛さが、時間が経つにつれ滲み出てきました。
闘病が始まってからつけたアビ太郎の日誌は、まだ読み返すことはできません。
最期の1週間のアビ太郎の動画は、まだ観ることはできません。

私たちから、姿は見えなくなってしまったけれど、触れることは叶わなくなってしまったけれど、
きっと、今も、虹の橋で、アビ太郎はこうやって、のんびり居眠りしてるんじゃないかと思います。
最後まで読んで下さった方、ありがとうございました。
前回の更新から、季節も変わり、ずいぶん時間が経過してしまいました。
アビ太郎が元気に暮らしている姿を、もっと、長く、残していけると信じていました。
しかし、現実はそう甘くはなく…
なかなか更新する気になれずにいました。
当ブログの主人公アビ太郎は2013年7月1日永眠しました。
アビ太郎はFIP(ドライタイプ)と闘っていました。
FIPは致死率ほぼ100%という恐ろしい病気です。
最初の異変に気づいたのは血尿からでした。
当初は膀胱炎を疑いましたが、膀胱炎に当てはまる症状はなく、原因が分からないままでした。
ひとまず炎症を抑える薬を処方され様子を見ることになりました。
それから3週間後の4月下旬、食いしん坊のアビ太郎が丸一日食欲もなく元気もない日がありました。
かかりつけの診療時間がすでに過ぎていたため、翌日朝一で病院に連れて行こうと決めたすぐ後のことでした。
急に咳き込んだ後に、おなかでハアハアと呼吸するようになったのです。
その日遅くに夜間病院に担ぎ込み、そこで可能な検査と経過観察を受けた後に、翌朝かかりつけの病院に駆け込みました。
約1週間後、病気の可能性を消去法で探っていった結果、確定診断されたのがFIPでした。
約2ヵ月半もの間、アビ太郎は日帰り入院と通院を続けました。
健康な人間が生涯打たれるであろう数を大幅に超えるような点滴と注射に耐えました。
薬入りのゴハンも、時間はかかりましたが、毎日残さず食べてくれました。
ずっと辛く苦しい闘病だったわけではありません。
闘病中の最初の2週間と最後の1週間を除いては、100%元の姿とはいかないまでも、アビ太郎らしい元気な姿を見せてくれました。
食い意地があって、茶目っ気たっぷりの、愛らしい姿です。





病院の先生が感心する程の回復力を見せてくれました。
しかし、どれだけ元気そうに見えても、完治する病気ではなかったため、良い状態をどれだけ長くキープできるかが、治療の目的でした。
闘病が始まった頃は、毎日が峠のような気持ちで見守りました。
アビ太郎の食欲が少しずつ戻り、体重も戻って元気になると、1日でも長く、1週間でも長くと祈るようになりました。
ドライタイプのFIPの顕著な症状である、脚の麻痺が出てからの最期の1週間は、支える私たち家族も辛いものがありました。

正直しんどい時間ではありましたが、可能な限りアビ太郎に寄り添い、濃密な時間を過ごしたんだと今は思います。
病気が判明してからは、
アビ太郎ができるだけ長く元気な状態でいられるように、
アビ太郎ができるだけ苦しまずに済むように、
見守り、支え、そして見送ることが、私たち家族の目標でした。
できることはやりました。
目標は達成できたと思います。
だから、後悔はありませんでした。
しかしながら、人間というものは不思議なもので、時間が経つにつれて、辛いことや悪いことは忘れてしまうんですね。
良い思い出だけが心に残る…
そして闘病の記憶よりも、病気になる前の元気なアビ太郎の姿をより鮮明に思い出すようになり、
病気と真正面から向き合って必死で闘ったアビ太郎の姿を見て、そして支えたにもかかわらず、
あんなに元気だったのに、なんで病気になんかなっちゃったんだろう、
病気にさえならなければ、きっと長生きできたはずなのに…と、
アビ太郎がいないことの、別の辛さが、時間が経つにつれ滲み出てきました。
闘病が始まってからつけたアビ太郎の日誌は、まだ読み返すことはできません。
最期の1週間のアビ太郎の動画は、まだ観ることはできません。

私たちから、姿は見えなくなってしまったけれど、触れることは叶わなくなってしまったけれど、
きっと、今も、虹の橋で、アビ太郎はこうやって、のんびり居眠りしてるんじゃないかと思います。
最後まで読んで下さった方、ありがとうございました。
















