愛知県犬山市の仏像専門骨董店「珍品家」です。
台湾の南東沖にある周囲40キロの孤島、中国明(みん)時代には「紅頭嶼(こうとうしょ)」と呼ばれ、現在は、胡蝶蘭(こちょうらん)が多く見られることから「蘭嶼(らんしょ)」と改名されたようです。
この「蘭嶼(らんしょ)」には、台湾原住民族の「タオ族」が居住しておりますが、本日紹介する土偶は、この民族の先祖が作った土偶とされています。
作り方は簡単で胴体を作って、別作りの頭部、手足をくっつけて、竹のヘラで顔面を表現するだけのもので、子供の粘土細工のような感じですよね。
素朴な焼物で、縄文土器を作陶した縄文人のように、乾いたナラやクヌギを野焼きの材料として、周囲に人形を置いて、座らせて焼いて、寝かせては焼いて、と時間をかけてゆっくり焼いたものだそうです。
この島は日本と清(中国)が戦った日清戦争(明治27年・1894年)で、日本が清に勝利して台湾が日本の統治になったわけですが、当時の日本人がこの頃の紅頭嶼(後に蘭嶼と改名)を、
「この島の原住民は、原始時代のような生活をしている」
との記録を残しています。
本日紹介します土偶は、宗教的な意味合いは無いとされていますが、それはその時代の土人形を見ての感想であって、日本の縄文時代の土偶が呪術的、宗教的
な意味合いがあったように、紅頭嶼の土偶も原住民の動作や姿、形を具体的に表現されてものが多く残っていますので、宗教的意味合いがあったものと思っています。
製作した時代等の詳しい事は分かりませんが、素朴で漫画チックな雰囲気が魅力で収集しています。
大きい土偶で15㌢、小さい土偶で8㌢と小さいですが、小さい割には重く感じます。
下の写真
筋肉隆々のお父さんでしょうか。
下の写真
子供を抱いたお母さんです。
下の写真
動物のようにも見えるのですが。
下の写真
子供の土偶です。
下の写真
犬の焼き物でしょうか。
この土偶達は、日本が統治していた時代に日本に持ち出されたもので、現在は博物館等に多くが収蔵されているようです。
余談ですが、
台湾原住民は、中国清の台湾統治時代には、山岳地帯に追いやられて人としての扱
いを受けていませんが、日本の台湾統治40年間には、日本文化及び日本語を学び、
近代人としての教育を受けて、昭和10年には、秩父宮親王の要請で「高砂族」に改
称されます。
ここで我々が忘れては成らないのは、日本の大東亜戦争に巻き込まれた「髙砂族」の
存在です。
勇敢さ故に多くの志願者によって
「高砂義勇隊(たかさごぎゆうたい)」
が結成され、日本軍の食料や弾薬の輸送を行って、日本の兵隊のために水も食料も
日本兵に与えて、パプアニューギニアの厳しい環境での戦いでは、磁石も使わず多くの日
本兵を導き助けるですが、食料を運ぶ際にバタバタと倒れたそうです。
死因は餓死です。
高砂義勇隊の皆さん有り難う御座いました。
ご冥福をお祈りします。
合 掌