2020年。
目に見えない怪物が世界中を襲う。
コロナ。
この得体の知れない怪物は、人と人が接触する事に依って感染するとだけがわかっていて、当面出来る事は、その接触を極力減らす事であった。

少しずつ明るい兆しが見えてきていた杏も、仕事は自宅待機を余儀無くされ、自助グループは休業、通い始めた学校も休校となり、一気に周囲と断絶、孤立せざるを得なかった。

(杏だけではない。
当時、どれだけの人達が同じ思いをした事か、、、。)

そしてあろうことか、優しく面倒をみてくれた多々羅が、性加害容疑で逮捕されてしまう。
しかも、しかもその事件をスクープしたのは桐野だったのである。

三人でラーメンを食べ、カラオケに行った初めてねあの楽しい時間は何だったのか、、。
信じていた大人二人によって、又、奈落の底に突き落とされてしまう。
神はどこまで見放すのだろうか、、。

多々羅は善人か悪人か。
桐野は善人か悪人か。
ある人にとっては良き事が、ある人にとっては悪き事になるという現実。
多々羅に面会に行った桐野の言葉は重い。
「自分がスクープしなかったら、サルベージはまだ続いていたのだろうか。
まさか、杏ちゃんにまで、、」

悶々とする日々のある日。
突然隣人に、小さな子供を押し付けられてしまう。
泣きじゃくる子供。
なんで次から次へと、こんな事態が起きるのか。
見ているこちらが辛くなってくる。

しかし、
この事はある意味救いであった。
会う人もいない孤独のなかで、例え小さな子供でも、側に誰かが居るという事。
そして、自分が世話をしなければいけないという使命感は、生きていく張り合いになったかもしれない。
杏ね表情も少しづつ明るくなっていく。のだが、、、

もう、その後の出来事は言葉にならない。
杏の一生は何だったのか。
何の為に生まれてきたのか。
いや、
そんな事、問う事こそ無意味
だ。
色々な仏教の教えも、虚しく空にまう。

只、そこに生まれさせられて、
その様な人生を生きさせられて
、それをどうする事が出来たであろうか、、。

不謹慎かもしれないが、
いっそ、あの時母親を殺していたら、違った人生を送れたかもしれない。と思う。
が、杏は母親を殺すかわりに、自分を殺してしまった。
なんとか助ける手立てはなかったのだろうか、、。
と思わずにはいられない。

間違ってはいけない。
コロナに置き換えてはいけない。
コロナ禍の出来事ではあるけれど、杏の悲劇はコロナのせいではないのだ。
杏は子供の世話をしながら、少しづつ明るく前を向いていたのだから。

全ての元凶はあの母親である。
あの母親がいる限り、コロナでなかったとしても、杏が心底幸せになれる日は来なかったろうと思う。
死は辛くて怖いものだけど、
杏は救われたのだと信じたい
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