そう云えば、
昨年だか一昨年だか記憶が定かではないが、「親ガチャ」という言葉が流行った事があった。
"当たり"とか"外れ"とか、親を選べない事を皮肉ったもので、私は嫌な言葉だなと思う。

もちろん、親は選べないし、ひいては人生も選べないと私は思っている。
たまたま、その親のもとに生まれさせられて、生きさせられているのであって、そこに、自分の意志などこれっぽっちも入る隙はないのだ。
仏教では"生かされている"という言い方をするが、そこには感謝の気持ちが込められていて、確かに自分の意志ではコントロールできない点では同じであっても、辛い人生を余儀無くされている人にとっては、正に生きさせられているのではないだろうか、、、。
感謝等と云う方が酷である。

杏(河合優実)は、当に親ガチャに外れた子であった。
当然の如く、その後は筆舌に尽くしがたい人生を与えられ、生きさせられて来たのである。
辛いとか悲しいとか云う感情さへ無かったかもしれない。
なぜなら、彼女はそれしか知らなかったから。
それが当たり前だったから。

そんなある日、
警察に捕まった杏は刑事多々羅(佐藤二朗)と巡り会う。
多々羅は薬物更生者の自助グループを運営していて、杏も誘われるままに更生の道を歩みはじめる。
又、そこに取材に来ている記者の桐野(稲垣吾郎)が、老人ホームの職場を紹介し、アパートも借りて、ようやく希望の光が見えてきた~~て思ったのに、、。

多々羅と桐野の三人で過ごす時間は、この映画での僅かの幸せの時間である。
ラーメンを食べ、カラオケで歌い、心を許せる安心して一緒に居れる人達。
誰もが当たり前に過ごしている日常が杏にもやっと訪れたのだが、、。

―次項に続く―

「追」
カラオケシーンで吾郎ちゃん歌う、ご愛敬♪