「碁盤斬り」の映画としての完成度が高かった要素としては、すべて白石監督の演出力の力量によるものであります。
脚本、映像、音楽、演技。
どれもが本当に素晴らしく、見事に作品を昇華していました。

映像で印象に残ったのは、部屋の場面の暗さです。
ろうそく(行灯)だけに照らされた暗い室内。
実際、当時はそうだっただろうと思います。
とてもリアルで、作品に一層の重みを与えていました。

そして、
俳優陣の演技の素晴らしさ。

もちろん、つよぽん(格乃進)の迫真の演技。
前半と後半とでの、同じ人物なのか?とみまごうほどの、演じ分け。
演技の幅が又ひとつ広がりました。

斎藤工さん(兵庫)も、重要な役どころ。
出番は少ないものの、格乃進を陥れた悪人、仇です。
ようやく探し当てた碁所での登場シーン。
博打打ちに身を落とした元武士の、やさぐれた薄気味悪い雰囲気は、衝撃でしたね。
どこまでも卑怯な兵庫。
眼にも止まらぬ切り合いで、敢えなく首を落とされますが、存在感凄かったです。

それから、
國村準さん(萬屋)、小泉今日子さを(お庚)、市村正親さん(長兵衛)。
安定の演技です。
心配ない!
各々が粋でカッコいい!約どころでした。
他の若手の俳優さんも、皆素晴らしかった。

こうしてみると
映画「碁盤斬り」は
テーマとしては「仇打ち」ではあるものの、横に連なるものは人情ではないかと思います。
なんで古典落語が「仇打ち」の話になるのかピンと来なかったのですが、格乃進と絹を取り巻く人々の暖かい人情があったからこそなんですね。

盗みの疑いもはれ、萬屋と弥吉の首の変わりに、碁盤を叩き切って、娘絹の幸せを見届け、再び行脚に出立する格乃進。
「碁盤斬り」は過去との決別だったのではないでしょうか。
🎥💛