軍役を終えて復学し、今年大学を卒業した息子は3月から就職して独立した。
家から1時間ほどの工業都市で働いている。
週末にはこまめに帰ってくるが相変わらずの無愛想。
家ではほとんど話をしないのだ。
スーーッと帰ってきてスーーッと出て行く。
用があるときには蚊の鳴くような声で
「運動靴を洗ってください」
「すももをむいてください」
「ハムを焼いてください」、、、、等々。(韓国では親に敬語を使う)
この子はいつの頃からか、父親や一人きりの姉とも全く会話をしなくなった。
日本から来た変なオバサンの私には必要最低限の話をする。
家にいる時はずっと自分の部屋に閉じこもってばかり。
就職難の韓国、このまま引きこもってしまうのかと腹をくくっていた。
それならそれでいいか。
料理の腕をあげて偏食の口を直してあげるべ。
そんな息子、この春突然、「布団を買うのでカードを貸してください」ときた。
それが旅立つ二日前だった。
どうやら就職が決まったらしい。
家族全員この時初めてわかった次第である。
彼は小学生で母親と別れ、中学、高校と敏感な時期を傷ついてきた。
自己主張が激しく感情をむき出しにする娘と違って弟は貝のように口を閉ざし続けて今に至る。
はにかんで幼児のように話をするものだから、外で社会生活ができるのだろうかと夫と心配したものだ。
が、親の心配をよそにどうやら外ではかなりのいい子ちゃんであるらしい。
口がきけないのかと思っていたらはきはきと礼儀正しく喋る口を持っていた。
普通に話す声を聞いたことがなかったので、初めて聞いた時はびっくりした。
いい声なのだ。(声フェチ)
謎の宇宙人、息子は、話かけてもほぼ無視される。
なんであたしがこともあろうにオマエに失恋するのよ
ってな感じでヤキモキばかりの日々だった。
態度は冷たい、ところが目の表情がなんともいえず明るくて可愛らしい。
平和な目をしている。ひつじ年うまれの男の子達が皆そうだったように。
これは私だけの自説だが私の知ってるひつじ年の男の子は皆、表情が柔らかい。
にやにやしている。
彼の目の明るさだけが救いだった。。。。
さて、初給料をもらったら親に感謝の意味をこめて下着の一つもプレゼントするのが韓国の常識。
だが、こんな状況だから私達は期待もせずに、息子がただ健康で元気に暮らしていてくれたらそれだけで十分だった。
1週間くらい前からたんすの上に二つの封筒が置いてあったのは知っていた。
銀行の封筒になにやら現金が入っているようだが、私は夫が仕事の入用で置いているのかと思っていた。
なんとなく気になりながら1週間が過ぎ、中身を確認することもなかった。
ところが夫は夫で私が置きっぱなしにしているのだと思っていた。
もの言わぬ息子が父母へ捧げた初めてのお小遣いは、
10万ウォンずつ仲良く二つの封筒に分けて並べて置いてあった。
梅雨本番の蒸し暑い7月の釜山。
つかの間の晴れ間をみたような爽やかな夏風が吹いてきた。
ひつじ年の彼よ、前途に祝福あれ!
そしてひつじ年の今年、残りの日々に多くの福がありますように!


