7月最後の日、朝早い新幹線に乗り仙台で乗り換えて着いたのが福島県にある原ノ町駅。


福島県立ふたば支援学校主催の特別支援教育研修会での講師を務めるためにやって来た。

半年ほど前に富岡支援学校の教員の方から講師依頼の電話があり、原発事故の影響で富岡市に学校ごと避難していた支援学校が、やっと春から双葉町に戻ってこれるという話しも聞いていた。

ああ、あの、原発事故のあった場所なんだ。
もしかして原発の近くまで行くのだろうか。
人々の暮らしは今どうなっているのだろう。

正直に言うと、少し野次馬的な思いがオカンにはあった。

原ノ町駅から会場まではふたば支援学校の教員の方が運転する車で1時間ほどの移動となり、車はまさに福島第一原発のある大熊町を通って双葉町へと入っていった。

左奥の方に福島第一原発があると説明を受け、ここがそうなんだと窓から目を凝らして見ていると、その次の言葉で大変な衝撃を受けた。

「この道路だけが除染済みでそれ以外の所はまだ立ち入り禁止なんですよ。」

え?そんなことある?原発事故からもう13年も経っているのに道路だけって。
国は何をやっているの?

さらに、車窓から見えた民家やスーパーなどの建物は原発事故のときのままなのだという。

住む人の無いまま崩れている民家、倒れた電柱、なかには一度も人が住んでいないのではないかと思える真新しい住居もあった。

道路の上には放射線量を測る機械があり、道路脇には汚染土を大量に集めてブルーシートみたいなものを掛けている場所もあった。

たったの6km先には福島第二原発の建物が見えた。

まだ避難している人たちもいて、ここで生活を営んでいる人もいるという事実。

こんなことになっているなんて全く知らなかった。

ニュースなどで取り上げられていたかもしれないが、ちゃんと心に留めていなかった。

いや、知ろうとしていなかった、原発事故のあとはどうなっているかなんて想像していなかった。

その場所に実際に行って見て感じること、それは本当に大きいし大事だと思う。

到着した会場では、主催の皆さんがあたたかい笑顔でオカンを出迎えてくれたのだが、その笑顔にうまく応えられない自分がいた。

複雑な思いにとらわれていたのだった。

原発事故を乗り越え、まだまだ大変な生活を強いられているこの地区の皆さんに、オカンの話なんて本当に必要なんだろうか。

もっと他に大事なことがあるんじゃないか。

約50名の参加者の前で迷ったまま話し始めたオカン。


話しているうちに、参加者の皆さんの聞きたいという想いが伝わってきた。

今自分に求められていることはこれなんだ。

全力で自分と次男の話しをすること!

迷いが吹っ切れてオカン節が復活!


いつものところでちゃんと笑いも取れた。

途中からずっと涙をぬぐいながら聞いてくれた人もいた。


研修会が終わってから、聞けてよかったと声を掛けてくれた人が何人もいた。

最後はオカンを呼んでくれたふたば支援学校の皆さんと記念写真でこの笑顔。


帰路に着く前に案内してもらった所がある。

原発事故収束の対応拠点として使用されていたJヴィレッジだ。

当時は被爆した人たちの除染などが行なわれ、サッカー場の芝はぐちゃぐちゃになっていたという。

今はそんなことが嘘のようにキレイになっていた。


大きなサッカーボールがあったので、ついついふざけてしまうオカン。


ボールを蹴っているつもりなんだけどね〜


こんな他愛のないことで笑える日常が本当に有り難いこととあらためて感じた、ふたば支援学校での研修会だった。

お土産にいただいたのは、支援学校の生徒さんたちの作品の数々。


心のこもったプレゼントに、研修会に呼んでもらって双葉町に行けてよかったと感謝の想いが湧いてきた。

現地に足を運んで行ってみないとわからないことがたくさんある。

皆さんも機会があればぜひ福島県双葉町を訪ねてみてほしい。

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