私が勤めていた介護施設にMさんという利用者さんがいた。

Mさんは、私とそんなに年が違わないのに病気で半身不随。
なのに、いつも笑顔で明るくて。
私はMさんに会うのが楽しみだった。


ある日、仲良しの看護士さんが教えてくれたことに、私は衝撃を受けた。

Mさんの娘さんは19才で原因不明の難病になった。
その病気は、運が良ければ薬で症状をおさえながら生きていくことができる。
一生、病気とつきあっていかなければならないが。

そして突然、娘さんは倒れて植物状態となってしまう。
学校を終わって、これから社会に出て、夢を叶えようとしていた、まさにその矢先に。

Mさんは、24時間、娘さんの介護をするようになる。

その介護をMさんは楽しみながらやっていたというのだ。

Mさんから直接聞いたエピソードがある。

「うちの子ね、チョコレートが大好きだったのよ。
だからね、チョコレートをほんの少しだけ口に入れてみたの。そしたら、なんと、自分で飲み込んだのよ。
そんな風にね、毎日実験みたいにいろいろ試してみてたの。
楽しかったよ〜」


Mさんは、にこにこ笑って話すのだが、私は涙が出そうになって困った。

自分が同じ立場だったら、実験とか楽しいとか、とても思えなかったろう。

「娘が病気にならなかったら、そんな体験できなかったと思うんだよね。
だから、私は娘が病気になったこと、悪いことばかりとは思ってないんだ。」

Mさんの言葉が私の意識のどこかにひっかかって残った。

その後のMさんの体験談はさらに壮絶になる。

娘さんの介護をしていたMさんが、病気で倒れ、救急車で運ばれて、三日間も生死の淵をさまようことに。

目が覚めたMさんは、ベッドの上で動けない体になっていた。

動くのは目と口ぐらい。

さすがのMさんもそれにはショックを受け、しばらくは介護していた娘さんのことも思い出さなかった。

誰もMさんに娘さんのことをあえて話しはしなかった。

とうとう、Mさんは、娘さんがどうしているか、誰が面倒を看ているのか、尋ねた。

その答えを聞いた時のMさんの気持ちを思うと、今でも涙が溢れてくる。


娘さんは、Mさんが倒れた2日後に、静かに息をひきとったそうだ。




Mさんは、もう何もかもどうでもよくなって、リハビリもせず、ベッドの上で天井だけを眺めて過ごすようになった。

数日後、病室に担当医の先生がやって来た。

「あんた、なにやってるんだ?
そんなとこで、ぐだーっとして」

先生は大きな声で言った。

それでもMさんは、反応しない。

先生は語気を強めて言ったそうだ。

「あんた、初孫が生まれたんだろう?
孫のオムツ替えてやんなくていいのか?
自分がオムツ替えてもらってる場合じゃないだろ?」

Mさんの目に力が戻ってきた。
そうだ!
孫のオムツ、私がかえなきゃ!

そうだ、そうだ!
私はこんなとこで何をやってる?


その日からMさんの壮絶なリハビリ生活が始まった。

どんなに辛いリハビリにもMさんは耐え、笑顔でやり抜いたそうだ。

「病室で笑い過ぎてさ、
よく看護婦さんに怒られたっけ」

Mさんは、顔いっぱいの笑顔で言った。

なんて人だろう。

なぜ笑顔でいられるのだろう。

「生きてるだけでいいんだよ!
死んだら終わりだからね」

そう
生きてるだけで充分なんだ。

頭ではわかってた。

次男にも言っていた。

オカンはね、もう覚悟ができたから、いつまでだってゆっくりしてていいんだよって。

Mさんの覚悟に比べたら、
そんなのは吹けば飛ぶような、軽い、軽い覚悟だった。

本当に、腹をくくった人だけが、Mさんのような笑顔になれる。

やっとわかった。

Mさんの言葉の何が私の心にひっかかったのか。

「難病の娘の介護なんて、そうそうできることじゃない」

私もそうだ。

引きこもりの親なんて、頼んだってできることじゃない。

特別な体験をさせてもらってる。

楽しんでしまえ。

それすらも。

腹をくくるってそういうことだ。



いつかきっと、腹をくくろう。

今はまだムリでも。

いつかきっと。