東京の学校を辞めて家に帰っていた次男が、ある日言った。

 「あのさ、どうもさ、美容院に行けないみたいなんだよね。」


 美容院は我が家の2軒隣にあり、次男が以前から行っているお店だ。
 そこに行けないとはどういうこと?
 昨日まで当たり前にできていたことができなくなってしまう、その事実は私には受け入れがたく、身体中の力が抜けていくような気がした。


 その週末はさくらクリニックの家族相談会があった。
 私は勇気を出して、次男の美容院のことを相談してみた。
 参加していた他のお母さん達からいくつかの意見が出た後だった。

 Mさんが発言した。
 「慣れている所だからこそ行けないんじゃないですか?全く知らない所なら行けるのでは?
 1000円カットのお店とか。一言も会話しないでカットしてくれるそうだし。」


 目から鱗とはまさにこのこと。慣れている所に行けないのに知らない所なんて行けるわけがないと思い込んでいたのだ。


 帰宅してすぐ1000円カットの店に行こうと次男を誘い、それまでぐずぐずしていたのが嘘のように美容院に行くことができた。


 1ヶ月後の相談会で、Mさんにそのことを報告し、おかげさまで有難うと伝えた。

 するとMさんがぱっと顔を輝かせて
 「お礼を言うのは私の方よ。有難う。」
 と言うではないか。

 何のことだかさっぱりわからずにいる私に、Mさんは続けた。

 「私は今までたくさんの人に頼ってきて、助けられてばかりで有難うと言い続けてきたの。
 こんな私が誰かに有難うと言ってもらえる日が来るなんて夢にも思ってなかった。
 有難うって言ってくれて本当に有難う。」

 「何回有難うって言うの?」

 なんだかおかしくなって2人で大笑いしてしまった。


 その後、次男は1000円カットの店では希望のスタイルにしてもらえないことを実感し、行きつけの美容院に行きたいと言い出した。

 しかし、どうしても1人では行けず、美容師さんのご好意で2人で行って、2人一緒にカットしてもらっている。
 これもまた、本当に有難いことと思う。