陳慧嫻(Priscilla Chan)
香港80年代の黄金世代の歌手
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1984年,新人歌手である「陳樂敏」、「黎芷珊」と三人組アイドル《少女雜誌》としてデビューした、日本風の可愛らしい女性アイドルとして売り出されている。アルバムに収録された曲で彼女の個人曲には代表曲となった「逝去的諾言」の他に、只要我開心、讓我快樂、癡情夢醒などがある。作詞作曲の「安格斯」とプロデューサーの「李振權」は翌年「皇妃樂隊」を結成するような組み合わせ。84年にはソロアルバム《故事的感覺》をリリースし《玻璃窗的愛》がヒットした。85年には日本でデビューしEP「千年恋人」をリリース、彼女のライバルであるアニタ・ムイも「なんとなく幸せ」を歌っています。次の欧陽菲菲、テレサ・テン、アグネス・チャンとまではならなかったものの、日本での成功を糧に香港でも活躍したお二人(アニタは今後マッチと付き合い日本語カバーも増える、プリシラチャンは日本式少女というお墨付きを得る)。2ndアルバム《陳慧嫻》は《花店》が大ヒットを収めた。
(写真はDiscogsから)
《逝去的諾言》-蔡幸娟《捨不得分離》
《玻璃窗的愛》
作曲作詞 : 安格斯
《花店》
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《反叛》では荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー(元はEat You Upという曲のカバーだが、次作で荻野目洋子さんのカバーが増えるので日本カバーと言えるのでは)」で天真爛漫・日本でもデビューしたというお墨付きの日本風少女としてさらにヒット、続く1987年には《變變變》で荻野目洋子さんの《六本木純情派》と《夏のステージ・ライト》、それに早見優の《Monday Shutdown》《Love Station》、高井麻巳子の《シンデレラたちへの伝言》をカバーし日本スタイルをさらに強めたアルバムをリリース。ただ、可愛いアイドル路線・日本少女路線で行けば成功するという予想に反し本作は受けがそこまでよくも悪くもなかった。
(写真はDiscogsから)
《跳舞街》-荻野目洋子《ダンシング・ヒーロー》
十大勁歌金曲最受歡迎Disco歌曲獎
この曲は他にも10曲以上カバーがあり、英語版のカバーもあれば、荻野目洋子さんリスペクトの本作カバーもあればと言ったところ。この曲のヒットを受け次のアルバムで荻野目洋子さんの曲を二曲カバーしているので日本カバーなのだと思われる。
痴情意外ー安全地帯「碧い瞳のエリス」
ダンシングヒーローのような曲で天真爛漫な日本風少女を売りにしたのかと思えば、玉置浩二の曲を演歌風で見事にしっとりと歌い上げたりと実力派歌手でもあることもわかる。
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ジャッキーチュンとも深くかかわってきた「欧丁玉」はここで天真爛漫なイメージ(前作のジャケットはカラフルな服装で、メリーゴーランドに乗って両手を挙げはっちゃけている)から淑女路線へと転換を図る。《傻女》《嫻情》《秋色》は可愛いよりは美しさが際立ったジャケ写になっていて、ポイントは少しオールドファッションとも取れそうな帽子(帽子女王と呼ばれることに)と格式の高い服装。路線変更は大成功し、多くのヒットソングを生み出した。
(写真はDiscogsから)
《人生何處不相逢》--周華健《最真的夢》ー罗大佑作曲
《傻女》--Maria Conchita Alonso《La Loca》-潘美辰《情人》
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80年代の二大女性歌手といえば、「陳慧嫻」と「アニタ・ムイ」(まさに日本で言う純粋派の「松田聖子」と山口百恵を継いだ曲調で会ったり、七変化で楽しませたりした「中森明菜」の対立構造と非常に近似している)だが、1989年《永遠是妳的朋友》リリースを最後にアメリカ留学に向けプリシラチャンは一度音楽界を離れることに。このアルバムでは近藤真彦の「夕焼けの歌」のカバー「千千闋歌」が大ヒット、この時代の歌姫とも認められる。
千千阙歌だけでなく、夜機、最後的纏綿、披星獨行は「別れ」が主題の曲、このころは中国で「天安門事件」がまさに起きた時期で、大陸から人が流れてきたり不安もあり多くの人が国外へと移住・留学した時期だった。安住できない・友や家族と離れ離れになってしまう当時の人々の心を反映したようなアルバムとして評価されており、特に1989年度の叱咤樂壇流行榜頒獎においてほかの「夕焼けの歌」カバーを差し置いて「叱咤樂壇我最喜愛的歌曲大獎」を獲得した理由はまさに民意を反映し別れの不安や寂しさを見事に歌った点にあると評価されている。
《千千闕歌》-近藤真彦《夕焼けの歌》
他のバージョンに、《夕陽之歌》(1989)、《無聊時候》(1990)、《夢斷》(1991)、李翊君《風中的承諾》國など無数にカバーがあるこの曲。有名なのは80年代の歌姫であるアニタとプリシラチャンの二曲だろう、同年いくつかの賞レースでトップ争いを繰り広げてどちらも高い評価を得た。当時は民意を見事に反映したとしてアルバムとしても完成度の高い《千千闕歌》を評価する声のが強かったが、アニタのお別れコンサートで一番有名なウエディングドレスを着て、女としての時期を逃し舞台と結婚したと歌った《夕陽之歌》は、人生の短い輝きの一瞬を夕日とたそがれにたとえた素晴らしい曲としてその後再評価を受け大変人気な曲となった。おそらく現状の評価は五分五分だろう。アニタと冗談も言い合うほど仲の良かったレスリーはプリシラチャンの方をカバーしている。
「英雄本色III:夕陽之歌」 主題曲
闘病生活の最後に開催したお別れコンサートで歌った曲。
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90年代の初めにアニタも一度音楽界から離れることになり、二大巨頭を失ったことで多くの女性歌手が発掘され世代交代が起きた。
まず、台湾からやってきてブレイクした「葉蒨文」は順調にトップの座につき、台湾・香港で大成功(香港人歌手の下手な普通語のおかげで優位に立てるのが強み)。そして日本風プロデュースで失敗し自己プロデュースで這い上がりアジアンポップスを成功へと導いた「林憶蓮」、北京からやってきて成功し日本でも呼び声高い「王菲」など80年代後半に頭角を現していた歌手をはじめ、「黎瑞恩」「周慧敏」など所謂アイドルも誕生すれば、「彭羚」「鄭秀文(アニタのように百変と評価される)」「李蕙敏」などの実力派も誕生したのが90年代。
1992年留学の休み期間にリリースした《歸來吧》はヒット。(まだ契約が残っていたから、言い方を悪くすれば、外国まで無理やり押しかけ録音した形(笑)、当時は商業的側面も強かったのでそう読み取れてしまうが真相はどうなのだろうか。)淑女ジャケットではなく、今回は親しみやすそうな普通の大学生らしい服装で登場、とはいえすでにこの時30歳近くで、紅茶館のようなフレッシュな歌を歌えてしまう彼女はすごい。
《紅茶館》国粤--平浩二「Bus Stop」
《飄雪》原由子《花咲く旅路》作詞作曲:桑田佳祐
90年代は絶頂期に音楽界を離れてしまい、さらに90年代の多くの女性歌手誕生によってそれまでの唯一の歌姫というポジションは失ってしまった。何度か路線変更を試みたがうまくいかなかったアルバムもあり徐々に人気がなくなり21世紀に入ると引退してしまうこととなる。
1995年《Welcome back》《我不寂寞》戀戀風塵がヒット、1996年《心滿意足》《問題女人(評価二分)》、1998年《愛戀二千小時》、1999年《正視愛》Band Sound、電子音樂
戀戀風塵--中島美雪「捨てるほどの恋でいいから」