◆悪口は良くないよね◆ | メータの妄想日記

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今日は祖母について叔母と話す機会がありました。


叔母はもう長いこと看護師をやってきて、いろんな老人を見ているから話しやすいです。


わたしは当然、祖母を病院や施設には絶対に入れたくなくて、その理由は自分が看護助手として働いていた病院の職員の質が最悪だったから。


患者のみならず一緒に働く仲間の悪口陰口は当たり前、患者に対する暴力も暴言もあったし、とても人間として扱ってもらえる場所ではなかったです。


たぶん閉鎖的な環境だったのがいけなかったのかもしれない。


それに働いている助手たちも人生に幸せを見出だせていない人たちばかりで、生活に困窮しているから資格もいらず手っ取り早く働ける介護職に就き、もっとお金を手に入れるために夜勤している人もいました。


それだけならいい。まだわかる。


でもそのストレスで酒やタバコやパチンコにお金を使って、さらにストレスを抱える生き方をする人があまりに多くて、それが本当につらかった。


そんなことだから他人にも優しくできないんだろうな…という人ばかりで。


だから祖母を病院や施設に…と思っても

「今までろくに贅沢もしないで真面目に貯めてきたお金を、そんなろくでなし職員の給料に使われてたまるか!」

と憤りを感じるのも躊躇する理由のひとつです。


そして「怒りは貧者の娯楽」と言うように、悪口や不満を言うことでストレス発散して気持ち良くなっている人も多くいました。


とあるネットの記事で、

人は誰かを罵倒した時に、相手を下位に落とした喜びで脳内に幸福ホルモンが分泌される。

だが脳は同時に、自分が発した言葉でも汚い言葉に反応して、ストレスホルモンも分泌してしまう。

幸福ホルモンは習慣化された行動ではほとんど出なくなるので、罵倒が癖になるとストレスホルモンばかり浴びることになる。

そのせいで脳の機能が衰え、ますます社会生活が上手くいかなくなる。

…そんな話を見たことがあります。


まさにわたしが過去にいた環境そのものでした。


でもそんなわたしも普段の生活で不満や悪口を実際に口にすることがあります。


苦言ではなく本当の悪口を。


その時は怒りに任せて我慢できずに言ってしまうけど、その時は気持ち良くても後で汚い言葉を吐いた自分の醜さに失望し、落ち込んでしばらく引きずってしまうのが毎度のことです。


悪口なんか言っても良いことなんかひとつもないって、わかっているはずなのに。


一緒に働いた看護助手たちはそれをわかっているのかわかっていないのか、いつまでもやめられない感じがありました。


わたし自身も

「悪口を言うのは良くないよね」
「でも言わずにはいられないんだよね」
「難しいね」

と、自分に言い聞かせるように、あるいは軽蔑する看護助手たちに向かっての呪いのように、世間に対する訴えのように、そう心の中で思うことはあります。


悪口は言わないほうがいい。本当に。


悪い言葉は周りも嫌な想いをするし、自分自身も苦しむことになるから。


何でも最後は自分に返ってくるだろうから。


◇◆終わり◆◇