パリ滞在の合間、

パリから電車で1時間もかからずに行ける

シャンパーニュ地方で一泊してきました。


初めての訪問だったので、今回の拠点は

ランスという町にしました。


到着して驚いたのは、ランスは

歴代ほとんどのフランス王の戴冠式が行われた

大聖堂があるほど、古い歴史がある町なのに

町並みがおかしい。


古い建物がほとんどなく、

なんの特徴もない建物だらけ。


おそらく、戦争で相当な爆撃を受けたんだろうと

思いました。


(昔の街並みが、かろうじて感じられる場所も

少しだけあります。)


到着してまずは、

カーヴがリノベーション中のため

オフィスで試飲会をしている大手メゾン、

テタンジェに行きました。



真ん中に写っている女の子は

イギリスの有名大学の学生さん。

半年だけ、インターンに来たそうです。


シャンパンにはなぜビンテージがないのかなど、

シャンパンについての初歩的な知識を、

流れるように説明してくれました。


今回、シャンパーニュ地方に行くことを

計画したのが1か月前だったので、

世界遺産に登録されている

大手メゾンのカーヴは既に満席で

どこも取れなかったため、


代わりに

小さなメゾンを回る少人数のツアーを予約しました。


待ち合わせ場所に到着して車に乗り込み、

ガイドさんに町並みがおかしいことについて

質問したところ、やはり


第一次大戦と第二次大戦のドイツの爆撃で、

町の85%が破壊されました


とのこと。ドイツ、、、。


(世界遺産、オーヴィレールのシャンパーニュの丘陵。)


ガイドさんは地元エペルネの小さな村出身。

コロナ中、観光業は止まってしまったので、

ぶどうの世話を手伝って時間を過ごしていたそう。


地元愛とシャンパン愛で、

相当な知識の持ち主。

シャンパンについての解説や

私たちからの質問への回答も

ウイットに富んでいて、

ツアーが楽し過ぎました。


シャンパンの歴史についての説明もさらっと。

偶然の産物から生まれた発泡ワインの謎を

解き明かしたシャンパンの父であり

修道士のドン・ペリニヨンや、

ヴーヴ(未亡人)クリコと

同じく未亡人のマダム・ポメリーという

2人の女性についてなど。


(ドン・ペリニヨンのお墓。)


現在もですが、

昔からフランスのワイン業界にとって

イギリスは最大のマーケットです。


商才に長けたマダム・ポメリーは

当時、甘口しかなかったシャンパンを

イギリス人が好むように辛口に作り、

イギリスに輸出しまくった女王。


イギリスのおかげ(?)で、

食事に合う様々なシャンパンが生まれた訳です。


食はダメでも、

酒に関してはめっぽう強いイギリスが

シャンパンの歴史を変えたんだ!と、

ちょっと笑ってしまいました。


ちなみに、マダムには申し訳ないのですが、

夫と私はポメリーのシャンパン、苦手です。笑


それにしても。

シャンパーニュ地方、奥が深いです。

無名の小さなメゾンでも

メチャクチャ美味しい。

(なのに、無名だから値段が安い。)


普通、レストランでは

シャンパンはせいぜい3種類ぐらいしか

用意されていませんが、

ここではレストランに行くと

シャンパンのリストが長過ぎて、

ビックリします。


まぁ、地酒ですからね。


シャンパン専門のバーも何軒もあり、

レストランは美味しいし、

出てくる食事にはシャンパンがよく合うし、

シャンパン好きには天国でしかない。


マリアージュを楽しむという意味では
パリよりも楽しいかも。
というか、正直、パリより全然美味しくて安い

すっかりハマってしまったので
シャンパーニュ地方はまたすぐに
行きたい場所ナンバーワンとなりました。

ちなみに、この地はジャンヌダルクに縁が
あるので、ジャンヌダルクの像があるのですが、
19歳のジャンヌダルクを火炙りにしたのは
イギリス軍です。

しかし、彼女をイギリス軍に売ったのは
フランスで、救ったはずの故郷に裏切られた
悲劇の少女でもあります。


実は、私はアルコールは舐めるようにしか

飲めないのですが、イギリス人の夫は大酒飲み。

(ダイエットのため、家では飲ませて貰えない。)


なので、夫が居れば

シャンパンの聖地を訪問しても大丈夫。笑

私が残したシャンパンは、夫が残らず飲み干します。


ボルドーを巡る旅、

ブルゴーニュを巡る旅も、行きたいな。


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