http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140522-00000020-pseven-int
『中国が南シナ海で示威行動をエスカレートさせていることにアジア諸国の懸念が高まっているが、その一方で日本への信頼は高まっている。
アジアの貧困地帯の一つでもあるカンボジアには、悲惨な歴史がある。
長い内乱期を経た1975年にポル・ポトが実権を握ると、たった3年間で200万人が虐殺されたのだ。
ポル・ポトの失脚後も、国内には地雷が多数残された。
そこへかけつけたのが日本だ。自衛隊が地雷撤去をする傍ら、日本政府の無償援助によって、橋をかけるなどの道路整備を進めた。
なかでも、トンレサップ河に架けられた橋は有名だ。
カンボジアの1000リエル札にも印刷されている。名前は「日本カンボジア友好橋」。
もともとこの橋は、日本の支援で1960年代につくられたが、ポル・ポトによって破壊された。それが1990年代に入ってからまたも日本の力で復活したのだ。
カンボジアの人々は日本人に対して、並々ならぬ敬意を示す。それは、日本には、戦争という悲劇から立ち直って急速に発展したという経験があるからだ。
一般社団法人アジア支援機構代表理事として、アジアの貧困地帯の支援を行なう池間哲郎氏は「日本は、私たちの見本であり、希望です」と言われたという。
首都プノンペンでは、水道水が飲める。これは、衛生環境が整備されていない東南アジアでは、極めて珍しい。これを実現したのは、北九州市の水道局である。
地方都市の一部門が、上水道の普及に一役買っているのだ。北九州市は水道のほか、ゴミの処理など生活に関わるインフラの輸出に積極的だ。
インドネシアのスラバヤにも北九州市は進出している。そのスラバヤでよく聞かれるのが「大切なことはすべてタカクラに学んだ」という言葉だ。
タカクラとは、北九州市の依頼でスラバヤに渡った技術者・高倉弘二氏のことだ。家庭から出る生ゴミを堆肥にする「高倉式コンポスト」の開発者。高倉氏自身が一戸一戸を訪ね歩き、普及に努めたこともあり、スラバヤ市内の約3万世帯に普及し、生ゴミの量が激減。
人々の環境への意識も高まったという。』
カンボジアと言えば、ポルポト派の大虐殺を思い浮かべる人も多いだろう。
かつてカンボジアは内戦があり、多くの人が虐殺された歴史がある。
僕もトゥールスレン博物館へ行って、衝撃を受けた1人。
トゥールスレン虐殺博物館というのは、かつて学校だったところを収容所に改造して、拷問した場所で、別名S-21と言った。
はっきりしないけれど15000人前後の人がトゥールスレン虐殺博物館には、収容されたと言われている。 その多くの人の中から、トゥールスレン虐殺博物館から生きて出られた人は僅か8人だったという。
だから、トゥールスレン(S-21)に連れていかれた者は殺されると言われていたし、実際そうだった。
ポルポト派は処刑前には写真を撮っており、うつろな目をした人達の写真がトゥールスレン虐殺博物館には展示されている。
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そんなポルポト政権の恐怖の時代が終わり、亡命先からシアヌーク国王がカンボジアに戻って国を治め、それから少しずつ復興してきた歴史がカンボジアにはある。
その悲惨な内戦後のカンボジアの復興に日本も大きな貢献をしている。橋や道路など復興にかかせないインフラ整備を行った。
そんな中、ちょっとビックリしたのが、カンボジアのプノンペンで水道水が飲めるようになっていること。
衛生環境が整備されていない東南アジアで水道水が飲めるなんて・・・。カンボジアよりも発展しているタイやマレーシアなどでも基本的に水道水は飲めないよ。
カンボジアの首都プノンペンの水道水が飲めるまでに衛生環境整備をしたのが、北九州市だったというのも驚きだ。
日本の政府援助や三井物産や三菱商事などの国際総合商社などが手がけたのではなく、福岡の一都市である北九州市がやった事にも感銘を受けた。
九州の地方の一部門が、東南アジアでも他に類を見ないくらいのレベルの高い水道水をカンボジアに提供していたなんて!
国際協力の在り方を考える上で非常に参考になると思うし、カンボジアだけでなくインドネシアなどでも国際協力している北九州市は本当に素晴らしいと思う。
大拍手だね。