【キリス(トルコ南部)時事】「銃撃は一瞬の出来事だった」―。シリア北部アレッポで死亡したジャーナリスト山本美香さん(45)の同僚、佐藤和孝さん(56)は21日夜、滞在先のトルコ南部キリスで時事通信などの取材に応じ、山本さんが命を落とした戦闘の様子を語った。
20日午後3時半ごろ、佐藤さんと山本さんらがアレッポ市街で反体制組織「自由シリア軍」の作戦に同行取材していた際、前方から10~15人で縦列を組んだ政府側とみられる集団が来て突然発砲してきたという。
自由シリア軍も応戦できず、佐藤さんは現場から逃げたが、山本さんは付いて来なかったという。
「銃が乱射されており、一瞬の判断だった」といい、山本さんを守れなかったことを悔やんだ。
二人は15年近く事実婚を続けており、佐藤さんは「公私共に最高のパートナーだった」と絶句した。
佐藤さんは1時間ほど続いた戦闘の後、病院で遺体となった山本さんと対面した。右手にはひどい銃創があり、首や防弾チョッキにも被弾した跡があったが、「顔は無傷できれいだった」という。
戦闘後に見つかった山本さんのビデオカメラには、黒い塊の集団の映像と「パンパン」という発砲音が収められていたが、山本さんの声はなく、即死に近かったとみられる。所持していたカメラや取材ノートなどは見つからなかった。
佐藤さんによると、山本さんの姉妹らが近くイスタンブールを訪れ、日本への搬送に向けて同地に運ばれるとみられる遺体と対面する予定。』
内戦が続くシリアのアレッポで日本人ジャーナリストが殺された。
戦場を駆け回る戦場ジャーナリスト山本美香さんだ。いや、彼女のお父さんの話をかりればヒューマンジャーナリストだったとのこと。
山本美香さんは戦場で暮らす母や子供の様子を伝える事に熱心だったという。
ユーゴスラビアのコソボやイラクなども取材していた山本美香さんの死は非常に残念だ。
戦場を舞台をするジャーナリストは命懸けの仕事。 戦場ジャーナリストは武装していないのに自ら戦場に行くのだから、いざという時の覚悟というものはできていたと思う。
だからと言ってそれが自分達にできるかと言えば、大方の人間にはできない。100万円上げるから1ヶ月シリアの内戦地域に行ってこいと言われても、一般人だったら断る人がほとんどだろう。
それを自ら内戦のシリア、アレッポに出向き取材するには、強い意志と使命感のような目的が必要だ。
それは戦争の悲惨さをカメラで撮った人を通じて世界に訴えたかったのではないだろうか?
山本美香さんの取材は日本の外交関係にも色々な所で役に立っていたと思う。
山本美香さんの死は日本にとっても大きな損失になった。
一般人の私でもそうだから、ご家族や友人達はもっと様々な気持ちが入り混じっているんでしょうね。
参考までに。
Ariadne military戦友が死体となる瞬間(とき) 戦場ジャーナリストが見た紛争地/加藤健二郎
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記者クラブから取材するジャーナリスト(ジャーナリストと言えるかどうか疑問符も残るが)はいくらでもできるが、戦場を駆け回れるジャーナリストはそう簡単にできるものではない。
途上国の旅を色々経験してきた私は、戦場でなくても日本では考えられないような苦労があった。ましてや内戦をしているシリアともなれば、その何倍もの苦労があったと想像される。
語学力も必要だ。情報が上手く取れるかどうかは危険地帯では生死を分ける事にもなりかねない。
また体力はいわずもがな。戦場で体の具合が悪くなっても、満足な治療は受けられない。窮地を自力で突破する精神力も必要だろう。自分の一瞬の判断が生死を分ける厳しい世界だ。
このように戦場を取材するのは、日本で取材するのに比べてかなりのパワーがいるはずなのだ。
女性でありながらこのような過酷な危険地帯に身を置いて、山本美香さんが伝えたかったものは平和ではなかったか?
戦場になった故郷で暮らさざるを得ない人々を通じて、戦争の悲惨さや平和の尊さを訴えたかったのではないだろうか?
少なくとも私にはそう思える。
これまでのご活躍に敬意を表し、山本美香さんのご冥福を心からお祈りいたします。