中国のアフリカ戦略と日本
中国人が自らのアフリカ支援について反省しているニュース。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100914-00000050-scn-cn
『アフリカのある国では、「中国人はわれわれの友人だ。日本人はわれわれの配偶者だ」という言葉があるという。これに対し、中国の国際先駆導報は9日、「中国はアフリカに多くの支援を行っているのに、なぜアフリカ人はわれわれより日本人を好むのか」と題する記事を掲載した。
記事では、日本の場合、ボランティア・非政府組織のほか、JICA(国際協力機構)などの公的援助機構がアフリカで活動を行っていると紹介、「彼らは全面的な責任のもとで対外援助を行っており、仕事は細かく、その影響力も大きい」と評価した。
一方で、中国の場合は、アフリカへの援助を行う専門機構が存在せず、各組織の協調にも改善が必要だとしたほか、援助の透明度を挙げるためにも、フランスのように第三者に評価を委託する制度も必要だと主張した。
アフリカでは、中国企業による援助の実態に不満を示す国も存在するという。記事では北京大学の李安山教授の言葉として、「アフリカでは、すべての中国系建設企業がわれわれは中国で最高の建設企業だと主張するが、これが中国の国家イメージを損なっている」と主張し、政府や行政が規範を設け、対外援助の公平性と秩序ある競争を実現しなければならないとした。
また記事では、「援助を提供する国にとって、目的のない援助など存在せず、援助を受ける国にとっても、得るものと失うものがある」とし、重要なのは「援助国が得るものと失うものの差を小さくすることである」と報じた。(編集担当:畠山栄)』
中国のアフリカへの援助の評価が低いという嘆きの記事。
中国は経済成長と共に、台湾絡みの政治的利権もあって、近年アフリカにはかなり力を入れている。 アフリカに対しての援助もしている。
ところがアフリカ諸国が中国よりも日本の方が好きだというのが、この記事。
日本はアフリカ援助と言えばJICAやNGOが中心、中国は各企業中心らしい。企業の援助は何かしら目に見える見返りを要求する傾向がある。 特に中国人はお金に関してはかなり貪欲な国民であるからね。
但し、ここで日本が大手を広げて喜んでいる場合じゃない。 日本と中国では援助し始めて、まだ相当の期間差がある。日本も戦後の焼け野原から這い上がり、援助国に変わっていった頃は、援助のノウハウもなかったはずである。
お金や物さえ与えれば満足と言う考え方だってあっただろう。 援助の効果を測るなんて発想が当時からあっただろうか?
援助なんて長い目で見た時に、効果を発揮する物が本質だと思う。「魚を与えるより、魚の獲り方を教える。」と言う事だね。 ただ、そこには文化、宗教、習慣の大きな壁が立ちはだかっている。
効率性の追求など日本人的な考え方だけ押し付けても、国際援助は絶対うまくいかない。 日本の国際援助が評価されているなら、色々失敗もしながら、お互いの納得いく部分で調整してきた結果であろう。
中国は日本から円借款などしている時から、一方でアフリカには援助をしてきた、したたかな国である。簡単に言えば、日本の金をもらいながら、他の所に援助していい顔をしていたという事だ。
経済力をつけアフリカに援助をし続ける中国が、その援助方法を改善したなら、今以上の影響力が出てくるだろう。決して中国をなめない方がいい。
アフリカ諸国で日本の援助が評価されているのは有難い話だけど、今度は日本という国そのものをアフリカの人達に知ってもらう努力が必要だと思う。
「日本はアフリカの配偶者だ」と言っているのが誰なのかも重要だ。アフリカというけれど、一部の政府高官だけの話なら、それは余り意味がない。
日本の援助のお陰で、自分の懐が潤うようにしているかもしれないんだから。
その点、日本のNGOは資金力がない分、小さいプロジェクトを幾つかやって現地に近い関係じゃないかな? ただ、その分、影響力が及ぶ範囲は小さいけどね。
一方で、援助がアフリカをダメにするという話も耳にする。一方的に物を与える援助では、アフリカの人々に依存心を植え付け、働く意欲を奪ってしまう事もある。益々援助に頼って、援助がなければ生活できなくなるような関係である。いわば、援助による悪影響である。
だからこそ、アフリカの将来の持続的発展につながるような援助方法が求められているんだと思う。
政府高官だけでなく、一般のアフリカ人が日本の援助を大半が評価するようになって初めて、「日本はアフリカの配偶者だ」と言えるのではないだろうか?
そう思うわけです。
援助に関して多角的に考えるなら、こんな本も出ています。
個人個人が自分の頭で援助を考える。
そこから議論が起こり、色々な素晴らしいアイデアが出てくるかもしれませんしね。