英国EU離脱、思い出せ40年もの前を~3

 

EUの原型は1957年批准のEECと言われます。経済協力機構で核は独仏のエネルギー資源の分捕り合いを話し合いでやろうよというものでした。

この更に原型は、もはや大した国でもなくなった、オランダに一部オランダ語圏の小国ベルギー、独語圏だが小国ルクセンブルグが引っ付いた共同体を結成します。

これに、仏独伊が合体したため、英国を除いた欧州基幹体制ができます。

 

もともとは、石炭のエネルギー協定から経済協力、将来的な域内の関税撤廃、共通通貨

(この時点では、自国通貨とEEC共通通貨の2重体制も考えていられたそうです。

この時点では米ドル本位制ですが固定相場だったためです)

 

ここで困ったチャンが登場します。現代から言うとドイツのような気もしますが

国というより、自分では縦横無尽の策士と思い込んでいるシャルル・ドゴール

 

ある時は、世界共和国とか世界市民とか言えば、フランスは国連と同じく拒否権を発動するとして実際発動してます。

現在のEUはこれが公平かは議論の余地ありますが、協定は全会一致方式で分担金の有無は欧州議会の割り当て議員数くらいでしょうか

 

経済の自由化と関税「0」と言いながら、仏農業の保護政策に走り、農家への手厚い補助金とEEC加盟国でも農産物の輸入時高関税化

オランダと同じく、中東・アフリカでの石油利権は独占。

 

1960年代からの英国のEEC加盟への拒否。理由は英米での英語連合・旧英帝国の影響が強まり米国の欧州干渉の排除を謳います。

大体、この男ロンドンで仏亡命政府の軍事幹部で英米にせわになったくせに、ベトナム戦争で米軍が好き勝手にやりだした恨みをず~っとかかえていたようです。

 

ここでも、世界共和国を謳いEEC全土を守る気もなく対米、対ソの対抗に核保有

を始めます。これは当時唯一EEC0諸国での核保有国になるわけです