英国EU離脱、思い出せ40年もの前を~4

 

この時期英国はポスト チャーチルで労働党政権がとてつもない高社会福祉政策に舵を取っていきます。

数度の交渉と英連邦(コモンウエルス)の縛りを大幅に緩める条件で1972年に

英国がEEC加盟を認められます。(正確には1973年1月1日)

 

幸か不幸かわかりませんが、英国と同時期にデンマーク、アイルランド共和国、ギリシャ、スペイン、ポルトガルなどが続々と加盟します

 

ここも更に複雑で英国はEECに対抗する欧州自由貿易協定EFTAを1960年に結成します。スウェーデン・ノルウェー・アイスランド(縁戚)オーストリア・スイス・リヒテンシュタイン(第二次大戦前の対独との微妙な関係)そしてポルトガル、フィンランド

純粋に経済の無関税化の促進目的でEECよりは遥かに緩い連合体でした。

人口でいえばスウェーデン、オーストリアが8~900万人程でその他は小国となります。英国にとっての経済メリットは薄く、対米との取引は入超でも活性化していました。

 

現在もEFTAは小国4ケ国が残っていますがEUとの協定で準EUのような立場です。

結局、英国はEFTAを言いだしっぺなのに裏切ってEEC加盟に走るのですが、

1975年、EECの脱退機運が高まります。農産物の政策の違い。域内の移動・労働の自由化への懐疑(英連邦内の不法移民の大量入国が社会問題になりだしていた)、

統一通貨加盟・使用の反対。独自の金融政策がとれず、ひいては世界の金融支配からの後退です。

結局、国民投票で約70%がEEC残留に賛成して残留しますが、EECはEC(欧州共同体)へ拡大、試験仮想通貨のECUをテストする。

結局英国はマーストリヒト条約での欧州通貨加盟を拒否し欧州中央銀行下の管理に抵抗します。EU(欧州連合)に旧共産圏を含む大ユーロ圏、欧州連邦を独主体で進めるわけですが、ギリシャ危機で独のためのEUが露呈してしまいます。