第170回芥川賞受賞作。
私はあんまりイマドキの文学に興味ないのだが、本作では生成AIが駆使されているとのことで、システム屋としての好奇心をくすぐられた。
なるほど、これはおもしろい。
なんともいえない、アウターゾーン的な雰囲気があって、非常に好みだ。
生成AIを使っているからなのか、それとも昨今の文学はこんな感じなのかは分からないのだが、文体が非常にきらびやかで、「手数が多い」と感じる。
1行読んだときに、大量の情報が頭に入ってくるので、けっこう忙しい。
本作のレビューを見ると、SF面に注目する人も多い印象だが、私はその点よりも「思想・哲学」に目が向かう。
タイトルにもなっている「東京都同情塔」は、タワー状の巨大建造物である。
犯罪者を不遇な環境で生まれ育った「同情されるべき人たち」として、彼らが快適に暮らせて、かつ「非」犯罪者との分離を実現するために作られた。
犯罪を犯す人は、確かに境遇が恵まれていなかったり、弱かったりすると思う。
そして、そのような「恵まれてなさ」や「弱さ」を、その人の責任にしていいのだろうか、という疑問は私の中にもある。
これは煎じ詰めると「自由意志は本当に存在するのか」という問いと、ほとんど同じかもしれない。
哲学者の中では、たとえばスピノザがこれを指摘している。
また、国家が持つ働きの中には「国民を標準化してコントロールしやすくする」というのがあると思う。
この点を指摘したのはミシェル・フーコーだ。
この作品の中には、そうした近現代の哲学がかみ砕かれて、ちりばめられている。
だいたいの人が哲学とか興味ないと思うが、私たちの考えていることや常識は、そうした偉人たちの見いだした疑問なくして成り立たないことをあらためて認識した。
東京都同情塔には多くの犯罪者が収容されていくが、そこから出てくる人はいない。
この点は、SNSなどを通じた現代社会の知的な分断を、皮肉っているのかもしれない。
哲学的な深い議論をする題材として、とてもおもしろいと思う。
全体を通して、カフカの「城」に似ていると感じた。