こんばんは!りのです
本日2回目の登場です!
今回はわたしの
幼少期について
書こうと思います!
わたしは祖父祖母も
一緒に暮らすいわゆる
拡大家族で育ちました🌱
母と過ごすより
祖母と過ごす時間が
多かったように思います!
愛情いっぱい、めいっぱい
甘やかされて育ちました
8個上の姉、6個上の兄が
いるので何かあれば
「お姉ちゃんがー!!」
「お兄ちゃんがー!!」
と、すぐに全て
上の姉兄のせいにしました笑
欲しいものは大抵祖父が
買い与えてくれました☺️
ほとんど生きる上で
我慢はしてこなかったです。
だからかわたしは
癇癪がひどく、
1日1回は怒って泣いて
暴れるので家族からは
癇癪玉 と呼ばれていました🤣
今思うとADHDやASDの
特性もありますよね
母はあまり家にいなかった
記憶ですが、わたしが
やることなすこと選ぶこと
「そんなのダメ!」
「やめときなさい!」
と言う過保護な母でした。
わがままで癇癪を
起こすので結局
意見は通るのですが…笑
家庭ではそんな感じで
過ごしていたので、
もちろん学校でも
泣けば意見が通る
と思っていました。
嫌なことはやらないし
すぐ泣くし
おまけに太っていたので
いじめの対処になりやすく
友達ともうまくいかず
休み時間はひとりで
読書をしたりしていました。
成績は感覚でやれる
体育、音楽、図工などは
良かったですが、
理解しないといけない
算数、社会、国語は
すこぶるダメでした😇
だから
当たり前ですが、
学校なんて行きたく
ありませんでした。
おまけに
イレギュラーなことが
とても苦手で、初めてやる遊び
初めての環境
慣れない人がすごく
怖かったです
自分が得意なことは
目立ちたくて、
ピアノの伴奏は
立候補していました。
一回調子に乗って
学級委員にも立候補し、
見事選ばれました!
まとめる力がなくて
撃沈しましたが
そんなわたしが少し
変わるきっかけとなったのは
中学入学です🌸!
わたしはソフトボール部に
入部しました。
実は小学生の時にも
ソフトクラブに
所属していたのですが
メンタルがお豆腐すぎて
ルール分からない
ミスが怖い
人との関わりも怖い
と2年でやめました
小さな学校だったので
部活の選択は
バレー、テニス、ソフト
文化部の4つの選択肢しか
ありませんでした
ソフトならやったことあるし
好きなお友達がいてちょっと
安心だからソフトにしよう!
と安易な気持ちで
ソフト部を選びました!
結論から言います。
わたしは3年間
ルールもサインも理解せず
感覚でやり遂げました🤣
ある意味才能ですよね笑
でもわたしの今までの人生
ぜーんぶこんな感じです!
なぜかと言うと
話が理解できないからです!
説明を自分の中に落として
解釈することが
苦手だったからです。
最近発達検査をして
ADHD+ASDの診断が
下りましたが
その検査結果にも
わたしの理解力は
平均以下、低い と
はっきり書いてありました笑
「分からないなら聞けばいい」
と言いますが、聞いていました!
… 最初は!笑
自分の思っていることを
どう言葉にしていいのかが
まず分からない。
そしてなんとか聞いても
理解できない。
その経験の繰り返しで
わたしは聞くことが
恐怖に変わっていき
なんとなく
雰囲気でやる
という技を身につけたのです。
人生で唯一長く続けた
ピアノでさえも
楽譜はいまだに読めません笑
ドレミは読めるのですが
リズムは理解できなかった
ので音を聞いてリズムを
覚えて弾いています笑
そんな感じで
なんとなーく適当に
生きているようですが、
日々人間界に溶け込もうと
めちゃくちゃ必死に
生きていました
読んでくださって
ありがとうございます!
まだ続きます🌷✨