<いつの時代にも・・・・・> | 地球防衛軍 日月塾ブログ

<いつの時代にも・・・・・>

おはようございます

病み上がりですが

顔晴って 書きたいと思います



みなさん!

笑ってますかーッ!!

笑顔は幸福のみなもと

今日も笑顔で絶好調!!





私は 何故だか 昔から 「仏教」というものに

興味があり 自分なりに色々 勉強してみました

今でも その当時勉強したノートが残ってますが

十代後半ぐらいのときに そんなことに興味を持って勉強していたのですから

「変人」と言われても不思議はないですね(笑)


それで

いきなりですが


私の中での仏教関係の事柄で 「?」と思っていることのひとつに


「何故?織田信長は比叡山を焼き討ちにしたのか?」というのが

あります

まあ どうでもいい人にとっては どうでもいい話しなのですが


どうも「腑に落ちない」んです


「比叡山」と言えば

日本仏教の中心と言っても過言ではないわけで

そんな場所を 「何故?」


ある情報によると


当時の比叡山は乱れに乱れきっていたらしく

「僧侶」たちが 「欲にまみれた生活」を送っていたとか


それで 

見るに見かねた 織田信長が 「焼き討ち」にした

ということなのです 確かに一理あるなとは思います




先日 ブログで紹介した本



<浄土真宗はなぜ日本で一番多いのか> 島田裕己 幻冬舎新書







買う前から楽しみにしていた本でしたが

やはり

期待通りの本です


その本の中に


書かれていました


要点だけをかいつまんで書きます(長くなるので・・それでも長いかな)



~引用開始~



・・・・・・前文省略・・・・


今日の歴史学では 中世において強い経済基盤の上に権力を

ふるった寺院や神社のことをさして

「寺社勢力」と呼ぶ 南都六宗の寺院は この寺社勢力として

その存在感を示したのである


寺社勢力がそれだけの権勢を誇ったために

朝廷や武家と対立関係が生じ ときには全面的な武力衝突に至ることもあった

平安時代末期の治承四年(1180)には 平家の棟梁 平清盛の命令によって

平重衡が興福寺や東大寺を焼き討ちにした「南都焼き討ち」という事件も

起こっている

このときには東大寺の大仏殿が焼失している

それでも 鎌倉時代には 東大寺や興福寺の再興がはかられた

運慶や快慶といった仏師たちが活躍し 数多くの優れた仏像も作られた

それも南都六宗の大寺が強い経済力を持っていたからで

室町時代に入っても 大和国の守護をつとめたのは興福寺であった

その後 戦国時代を経て近世に入る時点では 天下を統一する上で

いかに寺社勢力を抑えるかが課題になった

織田信長の比叡山焼き討ちや豊臣秀吉の検地や刀狩りは

寺社勢力から領地や兵力を奪い 世俗の権力の支配下におく試みだった

そうした体制は 徳川幕府の成立によってより強固なものになっていく


~以上引用終わり~


要するに 金と権力を握った 「寺社勢力」の解体のために

「焼き討ち」が行われたということのようですね

いつの時代でも

やはり 「金と権力」に取り付かれ 「悪魔」となってしまう連中は

いるのですね

ちなみに

今の日本は 政府と政治家を「焼き討ち」にしなければなりませんね(笑)



この本ですが 仏教から色んなことが見えてくる本だと

思います 是非 ご一読を!



ありがとうございました
**トホカミエミタメ**
かむながらたまちはえませ
*ありがとう 愛 感謝*
合掌