それにしても、謎の多い日本史。
古史古伝、学校では縄文時代は・・・縄の紋章の土器が
創られ、狩猟で穴を掘って生活。弥生時代にはツルツルの土器が作られ・・・
そんなことしか教わっていない。
いや、覚えていないのかもしれないけど。
どちらかというと理数系が得意で本や日本史、世界史には
まったく興味が無かった。
ただ、都市伝説には興味津々。
それにしても今になって日本の歴史に興味が湧くなんて。
歳のせいかな。
いや、ただ歴史に興味が湧くというより、
あまりに日本が駄目になっていくから、
昔はどうだった?日本?
そしてこれからどうなっていく日本?
そんな気持ちが根底にあって、興味が湧いているのかも
しれません。
前置きが長くなりました。
昨日からの続きからです。
松江市でホテルを一泊して朝から日本海側を移動します。
2時間?走った後、鳥取砂丘に到着。
ここが砂丘か・・・
雨が降っていたせいか(私が歩いているときには止んでいました)😊砂はしっとりしていて、砂漠と言う印象はありませんでした。
多分、晴れていたら砂に足が埋もれていくのかもしれません
30分くらい観光してお目当ての元伊勢籠神宮に向かいます
日本海側の道路は無料道路が多くて助かりました。
お昼前に天橋立に到着。ちょっと雨がシトシト降っています
そして元伊勢籠神社の駐車場jに車を止めて
参拝。
出雲もそうでしたが、駐車場が無料でホント助かります。
元伊勢籠神社は今の天照大神が伊勢に鎮座される前に
4年間ここに豊受大神と共に祭られていました。
主祭神は彦火明命(ひこほあかりのみこと)または
饒速日(ニギハヤヒ)さんとも言われています。
初代天孫降臨ですね。
天照大神が伊勢に御移りになられてから、天皇の夢に
一人で食事が進まない、豊受大神をこちらに連れてきて、
ということで伊勢の内宮に天照大神、外宮に豊受大神を
祭ることになったそうです。
言葉が乱暴で申し訳ありません。
次に奥宮である眞名井神社に向かいます。
車でも行ける?と小耳に聞こえてくるのですが、
とりあえず案内図にそって歩いていきます。
10分く歩くとたどり着きました。
この鳥居をくぐる前に眞名井神社の御神水がいただけます。
10リットルまで汲んでいけると立て札にかいてありましたが、まさか、そんなに多く汲んでも良いなんて知りませんでした。600ミリリットルのペットボトルは持って
来ていたので大事に頂きました。😊😊
駐車場は15台くらいでしょうか、籠神社に車を止めて
歩いても大丈夫です。
籠神社もそうでしたが眞名井神社も境内の中は撮影禁止です。そしてしっかり参拝させていただき、京都の相方の実家に戻ることとなりました。
そうそう、眞名井神社には五芒星が石碑に掘られていました。
五芒星と言えばダビデの紋章、ユダヤ、失われたイスラエルの10氏族、これはかなり深い関係が。
また最近 youtubeで海外から来た霊能者が伊勢神宮の外宮に
ヤハウエが祭られていると・・・
これは豊受の大神とは・・・
そしてしっかり参拝させていただき、京都の相方の実家に戻ることとなりました。
疲れた体は帰る日の朝までぐっすり。
そこでイベント発生!!
朝寝袋に包まれて寝ていた僕は、あ、ノートパソコンが
開いた形で足元を滑り、畳に落ちました。
するとその部屋の後ろで十二単の着物を着た女性の方が
長い髪をとかしています。
だれだろう?と思い、ふと足の先の落ちたパソコンが
十二単の小さな人形に代わっていました。
えっ、どうして・・・ノートパソコンが・・・
って思っていたら、なんと言ったら良いのでしょうか
寝袋を被った形で視界が小さくて見えない小さな
隙間から先ほどの髪をといでいた女性が自分の正面に
立って、顔を見えそうになった時に
目が覚めました。
夢だったんだ・・・いったいあの女性は・・・
きっと豊受大神様だったのではないか・・・と。
そして開いたノートパソコン、これは、そういうこと?
いろんなことを大事なことを些細なことでも良い、
もっと発信していくことが大事なのかもしれない。
一人が一人、そのまた一人がまたもう一人に伝えていき、
それが万波となって広がっていく。
つたないブログですがこれからも
宜しく御願い致します
ありがとうございました。_(._.)_